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2018/05/24 04:12 - 2018/05/24

「爆音上映」と「辛口ブーム」、映画の上映に於ける音量のラベリング

カテゴリ : コラム タグ :


 
昨今、映画館の 「爆音上映」 や、それに類するような 「特別音響上映」
とでもいうべき上映スタイルが行われて話題を集めています。
 
・・・と書いたものの、私は映画の歴史を語るほどの知識を持ち合わせて
いるわけではありません。いえ、こと「映画」についていえばここ2~3年
くらいで急に通い始めた層であり「にわか」と言っても良い部類のものです。
 
私のアニメ映画鑑賞熱に火をつけたのは、言うまでもなく
「ガールズ&パンツァー劇場版」 であり、立川の独立系映画館 「シネマシティ」
の実施している 「極上爆音上映」 です。極上爆音上映というスタイルは
ガルパンに始まったことではなく、初めてその名を冠したのは2014年の
ハリウッド版「GODZILLA」の上映、そして本格的に「極上爆音上映」の名を
知らしめたのは「マッドマックス 怒りのデス・ロード」と言われています。

 
「ガルパン劇場版」では音響監督の岩浪美和さんがいくつかの劇場の音響調整を
直々に行ったことでも話題になりました。この調整を行った上映は
「センシャラウンド」と名づけられ、元祖であるシネマシティとはじめとして
塚口サンサン劇場、チネチッタ川崎、イオンシネマ幕張新都心、
イオンシネマ名古屋茶屋、アースシネマズ姫路、福山シネマモード、等々、
多くの劇場で特別音響調整をアピールした上映が実施され、「4DX」のような
体感装置系の特別上映とは別の楽しみ方として話題を集めてきました。
 



 
また同監督は「ソードアートオンライン オーディナルスケール」でも
「エクストリーム○○」上映、「BLAME!」でも「東亜重音」と名づけた
音響調整を多くの映画館で実施し、これらも好評を博してきました。
 

 
「爆音上映」という上映スタイルだけみれば、歴史を紐解けばおそらく
これら以前にも数多くの上映が行われてきたのだと思います。
ただ、とりわけ私も含めアニメ界隈で特別音響上映が増えたことにより
一部の鑑賞者の間で劇場に対する「音」への関心が以前よりも高まりつつ
あることは間違いないでしょう。
 
 
元々、ガルパンの音響監督である岩浪さんがこうして劇場に直接赴いて
音響調整をされ始めたきっかけは、(ガルパンではない作品だと思いますが)
ご自身の関わった作品が「作品本来の迫力を全く活かせていない」形で
上映されていたことに疑問を持ったからだと言われています。
 
「爆音」というと「低音を強調した」という意味で捉えられることも多いため、
ここでは「爆音」という言葉の定義とちょっと離れて、音量が十分かどうか?
という観点のお話になりますが、自分が作った作品が十分に迫力ある音量で
上映されてほしいという制作側の期待とは裏腹に、実際に上映を行う劇場側には
音量をセーブする力学があちこちに存在します。
 
・シネコンは複数のスクリーンを抱えており、隣のスクリーン に音が漏れる
大きな音を不快 と感じるお客様がいて、劇場にクレームが来る
・スピーカーは 消耗品 であり、大音量で鳴らすほどライフが縮まる
 
いずれも施設運営の側からすると非常にまっとうな理由であるといえます。
先日も大音量が不快であるという記事が目に留まりました。
 
■映画館の音はなぜあんなに大きいのか|odanaka@jazz
https://odanakajazz.blogspot.jp/2017/12/movie.html
 
しかしそうは言っても感じ方は人それぞれです。制作側が迫力が足りないと
感じる上映が多いということを納得せざるを得ないのだろうか?というのが
このムーブメントの源流になっていることは間違いありません。
実際、こうした特別音響調整の上映には私も含めて多くのリピーターが
生まれました。それを単純にムーブメントに踊らされているからだと
するだけでは説明がつきにくい何かが確かに存在するように思います。
 
 
一方で、この「特別音響上映」があちこちで実施される現状には、
疑問、とまではいかなくても、将来に対する懸念をお持ちになる方もいます。
具体的なお名前までは挙げませんが、劇場関係者の方や、実際にこうした
特別音響上映を実施した作品に近しいスタッフの方々や、特別音響上映を
実施した劇場のスタッフの方々の中からも、
 
「特別音響だけが持て囃される状況」
 
には色々な懸念を感じておられるようです
 
それは言ってみれば 「爆音信仰」 みたいなものに対する懸念です。
「爆音」と銘打てばお客が集まり、「爆音」と書かれていなければ
お客が来ない、音を大きくすれば何でもいいのか?
作品そのものではなくお祭り気分を楽しむだけになっていないか?
それは作品や劇場にとって本当に良いことなのか?というお話です。
 
もう少し一般化すると、映画館にとって、作品というマスターがありながら
各劇場の音響設備の 味付けの競い合い がエスカレートすることは正しいことなのか?
特別音響調整が銘打たれていない上映は大したこと無い、と思われてしまうのは
危険なのではないか、といったお話にも繋がってくることと思います。
 
私は日本酒は呑めませんが、日本酒の世界では 辛口ブーム があり、
何でもいいからとにかく辛口をくれ、というお客様が増えて
日本酒本来の甘口のよさが全く伝わらなくなりお店が嘆いていた
といった記事を見かけました。それは味覚の衰退であると。
「爆音上映」「特別音響上映」はそうした辛口ブーム化のように
なりはしないだろうか?という懸念は存在して然るべきといえるでしょう。
 
 
 
ここまでが前置きです(長い)
 
私がここで書こうとしていることは、今まで映画館に通うことなど
考えもしなかった私が「爆音上映」をきっかけになぜ毎週のように
映画館に通うようになったのか、その理由と「爆音上映」をはじめとする
「特別音響上映」がもたらしたことの意味を紐解こうとするものです。
 
 
この記事では上述したとおり「爆音」=サブウーファーによる低音強調、
という意味だけでなく、「適切な音量への引き上げ」という広い意味として
「特別音響調整」全般を取り上げることとします。

今年1月、私はイオンシネマ名古屋茶屋で行われた岩浪さんの ライブ音響調整
イベント で初めてこの「特別音響調整」の内情に触れることができました。
そこで実施されたことは非常にベーシックなことです。
 
実際に上映される作品を流してみて、基準席(だいたい劇場中央)に座って
ピンクノイズを流して音量を計測して基準を調整。そのあと実際の作品のシーンを
流しながらできるだけ迫力あるレベルになるように音量を微調整していきつつ、
劇場側のスタッフと連携して隣のスクリーンへの影響などを注意しながら
各チャネルの最終的な音量を決めていく、というものです。(サブウーファー
の音量は特に重低音感、振動、隣への悪影響など色々な影響があります)
 
映画館の規格は大体決まっていて、指定した音量 で再生ボタンを押せば
だいだい同じような音量になるんじゃないの?と思われるかもしれませんが、
実際のところは全く違います。当然ながら各劇場は広さも、使っている設備、
特にスピーカーの種類や性能も全く違います。
 
そこにさらに上述したように音量を決める「力学」は1スクリーンだけを
観た音響だけでは決まりません。以前見たお客様から耳が痛いとクレームが来た、
隣のスクリーンから音漏れの文句が来た、スピーカーが壊れやすくなった、、etc.
「特別音響調整」とは良い音を見定める、ということだけでなく、制作者が
満足いく音で鳴らすことを許可してくれ(それ以外の諸々の問題より優先
してくれ)という 政治的交渉の結実 であるという見方もできます。
 
 
私がこうした特別音響上映に目覚めたのは前述の通り「ガルパン劇場版」からです。
(劇場については恐縮ですが具体例を挙げさせて頂きます)
最初に見たのは公開初週のTOHOシネマズ府中、このときは「凄い映画だった」
と一般的な感想としてのMAXな賛辞を持っていたつもりでした。
しかしシネマシティの「極爆」のウワサを聞いた私はその翌週にシネマシティに
足を運び「極爆」を体験します。そのときの驚き、体で感じる興奮はなかなか
言葉にすることができません。これが本当に先週観た 同じ映画の興奮 なのか?
と、とにかく困惑しました。
 
 
ガルパン劇場版をきっかけにして、
 
「同じ映画を何度も観に行く」
「色々な映画館で同じ映画を観比べる」
 
という、今までには考えられなかった行動をするようになって、
1つ気がついたことがあります。
 
「映画というのものは、音の大きさによって迫力が全然違う」
 
ということです。
 
・・・え、それだけ? そんなの当たり前じゃん!と思われるかもしれません。
ですが、冷静に考えてみるとこれは恐ろしいことです。
なぜなら多くの人は
 
「同じ作品は映画館で1回しか観ない」
 
からです。その「1回」をどの映画館のどのスクリーンで観るか、それによって
鑑賞者が感じる迫力は全く違います。しかし、ほとんどの鑑賞者は複数の映画館で
聞き比べをするわけではありませんので、その「1回」が自分にとって十分な音量の
上映だったのかどうかを 知る術がありません。
 
音が大きければそれでいいのか? というのは勿論疑問はあります。
ですが、音量・迫力というのは作品の魅力を構成する非常に大きなファクターの1つ
であることに疑問の余地はありません。エモい言い方をすれば、その映画鑑賞によって
「自分の心がどれだけ揺さぶられたのか」 というのが作品に対する
鑑賞者の「評価」「印象」として大きく影響しますので、音の迫力が物足りない、
ということがイコール「あまり興奮しなかった」という構図に繋がりやすい
ポイントの1つであることには間違いありません。
 
 
ここで 「迫力」 とは何か? というお話があります。
迫力のある上映をするためには、映画館の多大な努力があります。
各スクリーン(箱)の大きさに合わせた十分な音響施設(スピーカー等)を
揃えることは勿論のこと、どの座席でもある程度均質に音が届くような設計
だったり、実際の試写による調整だったり、、、映画館の音にこだわる努力
というのはそれはもう並大抵のものではありません。
 
しかし、ここでもう1つ、大きなポイントがあります。
それが鑑賞者の 「耳」 です。いや、「耳」だけでなく 「脳」 の性能も。
 

 
作品がどれだけ迫力のある音を詰め込んでも、劇場がどれだけ高性能のスピーカーと
プロによる細心の調整を行ったとしても、その「音」というのは最後は鑑賞者という
個人差のある耳と脳による解釈を経て決定されます。
仰々しい言い方をしましたが、要するに
 
・耳=聴力として、大きな音でないと迫力を感じない人がいる
・脳=大きな音に 慣れすぎて しまって、大きな音でないと興奮を感じない人がいる
 
という考え方でそれほど間違っていません。なぜそういう「耳」なのかについては
個人差としか言いようがありませんし、なぜそういう「脳」なのかについては
その人がこれまで経験してきた人生の積み重ねであるとしか言いようがありません。
 
ちょっと曖昧なことを言うと、私のようにいま40代くらいから50代くらいのおじさん
世代は、ちょうと ウォークマン全盛期 だった頃の世代で、低音を強調したイヤフォンとか、
BASS強調モード とかが付いていた再生機で誇らしげに音量ブーストして聴いていた
世代なのではないかと思います。表現がよろしくないかもしれませんが、そうした
時代を経た我々の世代の耳や脳は元々多少壊れ気味なところがあるのかもしれません。
 
言い換えてこれを「耳が大味になっている」といって「それは君の所為だ」と
言っても構いませんが、結果として起こることは同じことになります。
通常上映で「まぁこんなものかな」と思っていた人が、爆音上映で
「こんなにドキドキするなんて!」と思ったとして、それが個人差であるところの
耳と脳の臨界点 を超えるかどうかの境目の問題だとした場合、問題は非常に厄介です。
 
映画館で同じ映画を何度も見比べるような酔狂な人はほとんどいない、という前提に
立ち返ると、最初の1回で凄さを感じなかった場合、その人は「もしかしたら音量が
大きかったらドキドキしたかもしれない」ということには 「そもそも一生思い至らない」
わけです。同じ映画を何度も観ない、どころか、映画館によって音量には大きな差がある
ということ自体、普通の人は全く知らない知識であり、「どの映画館でも同じ
規定音量で上映されている」と信じて疑いません。つまりたまたま最初に入った
映画館のその1回の上映で、その作品の印象・評価は確定されます。
あなたの耳に合っている音量だったかどうかに関わらず。。。
 
 

 
同じことを 「料理屋(レストラン)」 の例で考えてみましょう。
レストランでは、メニューのオプションとして味付けを選べるものが多くなっています。
同じカレーで甘口、普通、辛口があったり、ラーメンでも太麺、細麺、こってり味、
あっさり味を選べたり、といった具合です。
 
さらにテーブルには大抵 「調味料」 が用意されています。
本来、料理人としては「俺が最高の味だと思って出した料理を勝手に変えるな!」と
いう想いはあるはずです。しかし一方で、味覚・好みというのは人それぞれである
こともまた料理人は心得ています。もし味が物足りなかったら最終手段として
自分で調味料を駆使して味を変えてください、「口に合わない、不味かった」と
嫌な思いをして帰るくらいなら、味を自分好みに調整して「美味しい」といって
帰ってもらったほうがずっとマシである、調味料はその姿勢の表れでもあります。
 
 
少し視点を変えて、音響を 自宅の環境 で考える場合はどうでしょうか。
パッケージ販売される商品(Blu-ray/DVD)は特別音響上映などはできない画一商品です。
本来はこうした1作品1ソースで勝負すべきであり、場所ごとに特別調整などを施して
アピールするのは作品ソースとして単一の魅力を提示できないことの裏返しであると
いう方もいます。
 
ですが、先ほどの「耳」と「脳」を考えた場合、こうした大量販売商品パッケージは
本当に再生状態として1つの同じものを楽しんでいると言えるものかというと、
そこにはいくつかの疑念があります。1つは想像するとおり各人の自宅の再生機器の
性能が異なることです。しかしもう1つの違いは、単純に「音量」にあります。
自宅で再生する場合、音量をどこまで上げるかは当然ながら、再生している個人の手に
委ねられます。すなわち「自分が満足する音量」「興奮を感じる音量」まで 好きなように
音量を上げていいよ、というのが、自宅に於けるパッケージ作品の再生環境なのです。
 
こと「音量」の視点でみた場合、大量販売のパッケージ商品は画一的な音で固定されて
いる、というのはある一面からの見方でしかなく、実は個人差に合わせて音量を
これ以上無いくらいフレキシブルに調整してよい環境下にある、といえるでしょう。
 
これは上で挙げた「料理屋」の「調味料」の例に似ているところがあります。
個人差があるのだから、調整が必要なら自分でやってくれ、というわけです。
 
 
では、映画館ではどうでしょうか。上述したように「耳」と「脳」には個人差があり、
迫力を感じる音量のレベルが全く異なります。映画館が個人に合わせてチューニングする
ことは可能でしょうか? 全員にフィットさせることができないないなら
「あとは個々人で調整してね」といって「調味料」を渡すことができるでしょうか。
 
答えはもちろん「NO」です。
映画という興行は 「大量の人がいっぺんに鑑賞する」 ことで成り立っているからです。
 
これはあくまで「コスト」の問題です。一度の上映で数百人がいっぺんに観る、
いっぺんにお金を取れるからこそぎりぎり成り立っているのが映画館という商売です。
でなければ「個室映画館」を銘打って、現在の映画館と同じくらいの凄い音響設備を
1人ずつ自由に調整しながら鑑賞するスタイルでお金を取れば良い、ということに
なりますが、当然ながら絶対にコストに見合いません。
 
そして映画館は来る人を選り好みすることができません。
すなわち 「大音量が好きな人」「大音量が不快な人」 も、
同じ箱で同時に観ることになってしまうのが前提になります。
 
 

 
ここでパターンを比較してみましょう。
 
大きな音を不快と感じる人がいて、その人がクレームを上げてきたとします。
この場合の思考はこういうものです。
 
「作品の制作者が不快な音をわざわざ作るワケがない。だとしたら、
 不快なほど音が大きいのは、劇場の再生の仕方が悪いのだ。
 
これは直接、映画館へのクレーム として届くことになります。
 
一方、通常の音では物足りない人がいて、その人が通常の上映を観たとします。
この場合の思考はどうなるでしょうか。
 
「何だかドキドキしないな。この作品はあまり凄くないな。
 
ここで非対称性が生じました。この場合、映画館に対して「音が小さすぎる所為で
全然ドキドキできませんでした。音が小さすぎるんじゃないですか?!」と詰め寄る
人はほぼ皆無です。なぜなら同じ映画を何度も劇場で観る人はほとんどいないため、
その作品の本来あるべき音量など、誰も知らないからです。
 
音が大きすぎる問題は劇場へのクレームとして跳ね返ってきて、
音が小さすぎる問題は 作品の印象・評価 に跳ね返ってきます。
そして作品の評価については「音量」は沢山あるファクターの1つでしかなく、
また鑑賞者が意識的ではないため埋没してしまいます。そのままにしておくと
劇場の「力学」として、自然と「音量を抑えておいたほうが波風立たない」
という決定を後押しすることになるでしょう。
前述の岩浪さんが提起をしたのはまさにこの非対称性(ギャップ)の問題でした。
 
この問題が非常に難しいのは、音の感じ方に個人差がある中で、大量の人が一斉に
鑑賞しなければならない「映画館」というスタイルそのものがもたらしている
構造問題だという部分です。
 
 
 
では「爆音上映」などの特別音響上映は何をもたらしたのか? というと、、、
 
私はこれが 「マーケティング・ラベル」 として非常に価値が高かったと思っています。
単なる商業的キャッチフレーズとしてハマった、という意味ではありません。
鑑賞者のセグメント化のための「目印」として正しく機能した、という言い方が
適切になるでしょうか。
 
「爆音」と銘打ってある上映では、少なくとも「音量で不満」になることは
ほぼありません。サブウーファーで低音を強調するという意味での「爆音」でなくても、
特別音響調整をした上映、特に制作者が関わって調整をした上映であれば、
大音量を気持ちよいと思う「耳」と「脳」を持つ鑑賞者であっても
そうした不安を感じる可能性は低くなるでしょう。
 
これも私は色々な映画館に足しげく通うにようなって初めて知ったことですが、
わざわざ「爆音」などと銘打たなくても、大きな音が好きな私のような鑑賞者が
十分に満足できる音量で上映してくれる映画館は元々いっぱいありました。
新宿バルト9 とか、新宿ピカデリーとか、もちろん立川シネマシティも同様ですが、
この映画館だったら「爆音」と書いてあろうがなかろうが音量が不満ということは
無いだろう、と思える映画館は沢山あるのです。
 
しかし、それはあくまで「同じ映画を沢山の映画館で聞き比べて」初めて知ることが
できた知識・ノウハウであり、普通の人はそんな知識とは無縁ですし、
また無縁であって然るべきです。ここまでに記してきたように、
十分な音量=大きな音量という意味ではありません。自分に合った音量でなければ
今度は 「大きすぎて不快」 という領域に突入します。これだけ「爆音」が持て囃される昨今ですが、
「爆音は耳が痛いだけで嫌い」という人も実はかなり多いのではないかと思います。
自分に合った音量で上映してくれる映画館を見つけるのは非常に大変なことです。
それこそ、同じ映画を何十もの映画館で見比べる、なんていう酔狂なことをしない限りは
自力で見つけていくのは難しいでしょう。映画館どころか、その中の「スクリーン」
によっても全然音は違うのです。
 
料理では「辛口」も「甘口」も食べる人が選ぶことができますし、さらに調味料で
その場で調整すらできます。しかし、映画では全員が同時に鑑賞するという制約の為、
「耳」と「脳」が各人で違うため「迫力」を感じるかどうかは「音量」に依存するのに、
映画の鑑賞者が「音量を選ぶ」ことができませんでした。
 
「爆音上映」が、映画の音量を 「ラベリング」 できることには大きな意義があります。
 
・「大音量」が好きな人は「爆音」なら音でガッカリすることはない。
・「小音量」が好きな人は「爆音」ならあらかじめ避けることができる。
 
「爆音」という形態に限らず、この上映が音が大きめにしてありますよ、というマーク
としての機能があれば、それはこれまで静かに物足りなさを感じつつ去っていった人を
狙って掴まえることができるラベルになるかもしれないわけです。
 
ここには2つの意義が同時に生まれます。1つは今まで音量が合わないためにドキドキ
しなかった人が満足する確率を上げられること。もう1つは「迫力が無い」ことを
「作品の評価に転嫁される」のを防ぐ道が生まれることです。
個人の持つ作品の評価というのは非常に曖昧で感情的なものです。それ自体は忌むべき
ことではなくそれこそが「娯楽」の在り方です。(評論家ではないのですから)
なんとなく興奮できず満足できないと、
 
「なんかストーリーがアレでさぁ・・いまいちノれなかったよね」
 
みたいに言ったりしますが、それが大音量になって迫力を増したときは
 
「ストーリーは多少粗があるけど、とにかくド迫力で凄かった!」
 
と言い出したりします。「音」は確実に「作品の一部」なのです。
 
 
 
色々と長々としたことを書いてきましたが、「爆音」がもたらしてきたものは
新しい刺激であったり、その慣れや刺激特化への警鐘であったり、
また興行としての工夫の余地の発見や新たな悩みの発生であったりしました。
こうした中で、個人的には「音の正解」を1つに決めて回帰するような方向ではなく、
色々な鑑賞者の 個人差に適応 する方向で模索をして欲しいなと願っていたりします。
 
この爆音・特別音響調整などのムーブメントにいち鑑賞者として渦中にいた身として、
映画なんて全く行かなかった自分のような者が毎週のように映画館に足を運ぶように
なったことには 何かしらの意味がある と思ったからです。
 
それは決して「爆音最強!」ではないし、逆に「爆音は邪道!」でもない、
個人差によってフィットするものが違うというセグメント化の現れであって、
それをラベリングしたことで適切な誘導ができた結果なのではないか、
という気がしています。すなわち、パーソナライズを個人個人にすることは
できないけれども、上映ごとにカラーをつけることによる擬似的な
パーソナライズができるようになったという進化なのではないかと、
今は何となくそういうことで納得をしています。
 
 
ちょっと話を変えると、これは何も音量に限ったことではありません。
 
一例として最近気になっているのは、「鑑賞スタイルの違い」 です。
ポップコーンを食べる音が気になる、氷の入った飲み物をすする音が気になる、
上映中に同伴者と小声で話す人が気になる、エンドロールで席を立つ人が気になる、、etc.
最近は「映画は静かに集中して観るもの」というスタイルが台頭してきており、
昔ながらの映画鑑賞のスタイルとしてはむしろ推奨されるべき当たり前の行為
だったものが、許容されなくなりつつあります。
(実は私も徹底的に集中して静かに観たい派です)
 
これもまた好みに「個人差」があり、また大勢で一斉に見る「映画」だからこそ
衝突が発生する問題です。たとえば「今回は静かに観る回です」といったラベリング、
「極上静穏上映(飲食物持込禁止)」 みたいなセグメント化は可能なのでしょうか?
これはあくまで単なる思考実験ではありますが、これからの映画館の在り方に対して
「音量」を「ラベリング」した上映が見せた効果というのは1つの参考になるのかもしれません。
 
私はアニメ作品だけを好んで観るほうなのですが、劇場の大画面・大音響で観る
アニメというのは本当に何物にも変えがたいもので、自宅でテレビで観る体験とは
完全に一線を画すものです。そうした「劇場ならでは」の良さが伝わる機会が
これからもっと増えたら嬉しいなと切に思います。

CK@デジモノに埋もれる日々 @ckom
ブログ「デジモノに埋もれる日々」「アニメレーダー」「コミックダッシュ!」管理人。デジモノ、アニメ、ゲーム等の雑多な情報をツイートします。



投稿者 CK : 記事URL | コラム | | 2018/05/24 04:12


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