トウカイテイオーと、#ウマ娘 でまた巡り逢った。テイオーを追ったリアルタイムの記憶。

2021/03/15

ウマ娘ブームに乗って、ウマ語りをしても良いと聞いた ――。
 
 
ウマ娘たちの輝かしい史実のお話は探せばきっといくらでも出てくるだろう。
ここで語るのは、「その頃」を生きた想い出の記憶だけ。
トウカイテイオー という奇跡の名馬に魅せられた観衆の1人としての記憶だけである。
 
ただし気にする人はいないと思うけれど、アニメ「ウマ娘プリティーダービー」に
関する史実を語ることがネタばれになるのなら、この文章にはそれが含まれる。
それだけは念のためご留意いただきたい。
 
 

 
 
 
私が初めて「競馬」というものを意識したのは1988年の春だった。
当時、中学2年に上がったばかりの13歳。
2つ上の兄が突然、謎めいたことを言い出した。
 
 
"ヤエノムテキ" って馬が凄いんだよ。
 
 
「どうした急に?」
 
 
素でそんな言葉が出かかった。何を言ってるんだ、とそのときは思った。
 
高校生になった兄がちょうどそういう話題が友人との間で出るような
年頃らしかった。皐月賞という凄いレースを勝った馬だと。
 
私は当然、JRAのカレンダー体系も、レース名も何も知らなかった。
兄はその後も競馬を追い続けたらしく、日本ダービーの時期が迫ると
父も巻き込んで話を広げてきた。
 
今思えば、父も気が良いものである。父は競馬なんて全くやらない堅物だったが、
(当時は競馬「なんて」やるのは"賭博"という認識でしかなかった)
お前たちの予想を元に馬券をちょっとだけ買ってみてやる、と。
府中競馬場が近かったこともあり、家族はダービーの予想に華を咲かせたのだった。
 
皐月賞を勝ったヤエノムテキ、2着のディクターランド、そして関西の秘密兵器
サッカーボーイ。興奮して話す兄の言っていることはさっぱり分からなかった。
私はこの "メジロアルダン" が良いのではないかと言った。
だって3戦2勝、2着1回、ほとんど負けていないから強いだろうと。
レースの「格」なんて何も知らなかった。
 
 
JRA公式チャンネル 1988 日本ダービー

 
サクラチヨノオーが押し切り、メジロアルダンが2着に入った。
このときちょっと嬉しかったのを覚えている。
自分だけが推していた馬が、やっぱり来たじゃないか。
 
でも、それからしばらく、競馬のことを話す機会は無かったように思う。
 
 
次に訪れた機会は同年秋のジャパンCだった。兄が再び興奮して語る。
"タマモクロス""オグリキャップ" の芦毛対決なんだと。
 
ジャパンCと有馬記念はそんな感じでまた家族で注目して観た。
だから実はオグリの中央転厩からの重賞6連勝の快進撃は生で体験していなかった。
でもこの年の有馬記念の記憶はくっきりとしている。
国内最強のタマモクロスに、オグリキャップが初めて打ち勝った。
 
 
競馬というレースを初めて興奮して観た、それが初めての「記憶」。
 
 
 
 
年が明けて1989年は天皇陛下が崩御され、杉本清アナウンサーが
シンザン記念の実況で「平成」の到来を告げたのを良く覚えている。
とにかくこの年から私は競馬に激烈にハマっていった。
毎週、競馬中継のビデオ録画をして必死に録りためていた。
 
シンザン記念を勝ったファンドリポポの名前もよく覚えているし、
この頃の競走馬はG1馬でなくても本当にいろんな馬のことを覚えている。
 
ランドヒリュウ、レインボーアンバー、リキアイノーザン、キリパワー、
ミスターシクレノン、トウショウマリオ、そして、サクラホクトオー、、、
 
そこから2年間は、競馬界も"アイドルホース"オグリキャップと、
"アイドルジョッキー"武豊の登場に大いに沸いた。
競馬に対する世間の認識も少しだけ変わっていった。少しだけだったけれど。
 
僕らは 「オグリキャップ・ブーム」 の真っ只中にいた。
秋天で前を阻まれた無念、マイルCSの意地の差し返し、連闘で激走したジャパンC。
その後もオグリキャップのドラマチックな馬生は続き、復活の有馬記念まで
その熱狂を楽しんだ。競馬のいろはを、面白さを、全てオグリに教わったのだ。
 
 
ただ1つ。怒らないで聞いてほしい。
私はあのオグリキャップの感動の復活の有馬記念を、
 
思ったより冷静に観ていた。
 
前年のマイルCSやジャパンCで魅せた闘気の塊のようなオグリキャップを
あの有馬記念のレースには感じ取っていなかった。
メジロライアンも、ホワイトストーンも、このオグリを倒せなかったのか。
立ちふさがっていたのがメジロマックイーンだったら、バンブービギンだったら
オグリは勝ち切れていただろうか?(バンブービギンが大好きだった)
 
まだ競馬を見始めてわずか数年の若造が、
そんな不遜なことを考えていたのを覚えている。
 
 
 
・・・・・・・・
 
 
 
前置きがとても長くなった。こうしてオグリ世代に競馬を教わった私が、
その「感動の有馬記念」の少し前に出会った馬がいる。
 
それが若き日の "トウカイテイオー" だった。
 
それは「土曜競馬中継」の中の「今週の新馬戦」のような地味なコーナー
だったと思う。中京競馬場で4馬身ちぎって大楽勝した。
父の欄に、ウワサでしか聞いたことのない七冠馬の皇帝、
"シンボリルドルフ"の名が見えた。
 
 
皇帝シンボリルドルフの初仔が、新馬戦でとんでもない勝ち方をした。
 
 
私はそのとき、この馬に一目惚れしたのである。競馬を大して知らない若造は、
自分の中に勝手に 「皇帝から帝王へ」 という未熟なストーリーを作り上げた。
シンボリルドルフの初年度産駒なんて他に何十頭もいる、なんて事実は
そんな若造の中で盛り上がった妄想の前ではどうでも良いことだった。
 
 
 
「トウカイテイオーという馬が、その後どうなっているのか知りたい。」
 
 
 
1990年といえば、インターネットの情報なんてほぼ存在しない時代。
netkeiba.com で調べれば何でも出てくる時代ではないのである。
情報源といえば、テレビで流れる毎週の競馬中継、それ以外は「優駿」などの
競馬雑誌のみ。とにかくトウカイテイオーはどうなったのか?
何も情報は出てこなかった。
 
そのころ高校生になっていた私は、昼休みにこっそり抜け出して
近くの本屋さんに駆け込み、「競馬四季報」 を読み漁っていた。
 

サラブレッド血統センターオンラインショップ / 競馬四季報 2021年冬号(全国版) 通巻196号
 
「競馬四季報」は、四季報の名のとおり3カ月に1回だけ発売される、
電話帳みたいな厚さの本。現役で競走馬登録している馬は
この四季報に必ず全成績が掲載されることになっている。
 
すなわち、トウカイテイオーももちろんこの四季報に載っている。
この四季報のトウカイテイオーの「競争成績」の欄が増えていないか、
ただひたすら、それだけを確認するために競馬四季報を必死にチェックしていた。
 
 
「やった!シクラメンSを勝った!」
「若駒Sも勝ってる!」
 
 
競馬四季報に 「1行」が増えるだけ
それがトウカイテイオーの情報の全てだった。
 
いまにして思えば、私は現在でいうところの「ペーパーオーナー・ゲーム」を
たった1人でやっていたのだった。私が目を付けた馬が、勝ち上がっている。
 
早く出てこい!テレビに映るようなレースに早く出てこい!
 
 
 
JRA公式チャンネル 1991 皐月賞

JRA公式チャンネル 1991 日本ダービー

 
 
そして 帝王伝説 は幕をあけた。
 
イブキマイカグラという本命がいるクラシック路線の中、あえて重賞ではなく
オープン戦の若葉Sを選んだトウカイテイオーが初めてテレビ中継に登場し、楽勝した。
そして1番人気に推された皐月賞もひきつけてから突き放す走りで快勝。
 
迎えた伝説の日本ダービーは何度見ても忘れられない。
1頭だけ翔び方がまるで違う。彼の本気には誰も追いつけない。
 
 
「こうなったら無重力状態だな」(シンボリルドルフ ウマ娘2期1話)
 
 
追いすがるライバルを叩き伏せる。皇帝の息子はやっぱり帝王だった。
トウカイテイオーはこのまま偉大な父に並び立つ無敵の三冠馬になる、
誰もがそう確信したレースだった。
それを観て震えながら高校生の若造が誇らしげに言う。
 
「ほら、オレの言ったとおりだ! オレの帝王の圧勝だ!」
 
なりきりペーパーオーナー状態の自分が初めて味わった充実感。
東京競馬場に鳴り響く 「ヤスダコール」 はこの馬を半年前から
ずっと追い続けてきた自分にも向けられたご褒美だと思った。
(そんなことを考えていた人があの中にあと何万人いたことだろうか。)
 
 
 
それからわずか数日後、通学電車の中でちらっと見えたスポーツ新聞を見て
私は固まることになる。
 
 
「帝王骨折」
 
 
その4文字だけは確かに見えた。でも何が起こったのかは分からない。
どのスポーツ新聞だったのかも覚えていない。
私は最寄り駅に到着するやいなや、キオスクに行って該当のスポーツ新聞を
探そうとしたが、丸まっているので中身が確認できない。
 
「どうしたの? 何か探してるの?」
「あ、あの、『帝王骨折』って・・・!」
 
キオスクのおばちゃんに紙面の中身のお話をしても探してくれるわけではない。
何を言ってるのかね?この子は、という顔をするキオスクのおばちゃん。
ところが、隣にいたおっちゃんがたまたま反応してくれた。
 
「おお、トウカイテイオー、そうそう、骨折したってねー。」
 
 
 
 
頭の中が真っ暗になった。お前は馬主じゃないんだが。
結局そのスポーツ新聞は特定できず、スポーツ新聞も買っていない。
キオスクのおばちゃんごめんなさい。
 
その情報はしばらくして競馬中継にも競馬雑誌にも現れた。
命に関わるようなものでもなく、レース復帰も目指しているということは分かり、
それだけが救いだった。それでも、「親子二代の無敗の三冠馬」という夢は、
デビューからわずか半年で、最高潮に達して、そして泡のように消えた。
 
 
レオダーバンが勝った菊花賞も、
その5馬身は先に、いるはずのないテイオーの幻影を見ていた。
今だったらナイスネイチャに怒鳴られるのかな。
「そんなこと絶対に言わせない」って。
 
 
 
・・・・・・・・
 
 
 
伝説を見たダービーは「5/26」。復帰戦の産経大阪杯(当時G2)は翌年の「4/5」。
 
引退レースの「1年ぶりのレース」が有名なトウカイテイオーだが、
実はこの最初の骨折でそれに次ぐ 10カ月以上のブランク を経験している。
そのブランクはテイオー本人だけではなく、テイオーのファンにとっても
もどかしい期間だった。ターフに戻ってきたテイオー。本当にやれるのだろうか?
 
戻ってきたから以前のように凄い走りを見せてくれるとは限らない。
奇しくも初めて競馬を見たときに知ったダービー馬、サクラチヨノオーが
ダービーから1年後に復帰して、成績を残せず無念にも引退した姿を見たばかりだ。
 
私は今だから言うが、戻ってきたテイオーは何か違ったように見えた。
パドックや返し馬で見せる、天まで駆け上るような軽やかなテイオーステップが、
ほんのちょっとだけぎこちなく見えた。
 
テイオーはそんな不安をあざ笑うかのように産経大阪杯を「持ったまま」の
楽勝で終えた。やっぱりテイオーはテイオーだ。無敗伝説はまだまだ終わらない。
他でもない自分がテイオーを信じ切れていないなんて、そんなことあってはならない。
 
 
JRA公式チャンネル 1992 天皇賞(春)

 
トウカイテイオー vs メジロマックイーン 「世紀の対決」
 
 
1992年天皇賞・春。トウカイテイオーは完全無欠のステイヤーのマックイーン
を差しおいて1番人気をもぎ取った。彼の人気っぷりは本当に凄かった。
そして、その彼が初めて「後塵を拝する」シーンは本当にショックだった。
 
テイオーは、そしてテイオーのファンは、
「偉大な父に並ぶ三冠馬」 に続き、「無敗伝説」 も剥ぎ取られた。
レース後には再び骨折が判明した。
 
 
一瞬だけ、一気に盛り上がった期待は、あまりにも大きすぎて、
そして一瞬で、はじけてしまった。
 
 
 
JRA公式チャンネル 1992 ジャパンカップ

 
 
秋に復活したあとのテイオーのことは、正直ちょっと不思議な気分で観ていた。
パドックでも返し馬でも、あの軽やかなテイオーステップを見かけた
記憶がない。剥離とはいえ2度目の骨折を乗り越えてきたテイオーは、
変わってしまったのだろうか。
 
調整遅れから天皇賞・秋にぶっつけ本番で登場し、
ハイペースに巻き込まれて7着と敗れた。
 
ところが、休養明け2戦目のジャパンCでは不死鳥のように蘇り、
ユーザーフレンドリーをはじめとする超豪華メンバーの海外勢を向こうに回して
差し切り勝ちを見せた。またテイオーが復活した! と歓喜が渦巻く中、
当時高校生だった自分はこのレースを100%喜べないでいた。
 
強いか弱いかで言ったら、強いレースに決まっている。
相手はあの4歳時のダービーとは比べ物にならない化け物揃いだった。
でも、このとき4コーナーをあのダービーのときのように長手綱でふわっと周って
きてくれたテイオーは、そこからダービーのように、翔んだ、ようには見えなかった。
 
競馬知識わずか数年の若輩者が何をかいわんやだ。自分は、あの日本ダービーの
無限に加速する光景にうたれて神格化しすぎているのかもしれない。
ただ、自分がテイオーのポテンシャルが 「無限」でない ことを本当に
悟ったのは天皇賞・春ではなく、このジャパンCだったような気がする。
 
強いレースだった。強いレースだったよ。でも。
メジロマックイーンよ見たか。ミホノブルボンよ見たか。ライスシャワーよ見たか。
トウカイテイオーの神の脚が全てをねじ伏せるんだ。そういうことを考えなくなった。
 
 
有馬記念でテイオーは三たび惨敗した。
 
膨らんだシャボン玉が「パチン!」とはじけるように。
 
 
 
・・・・・・・・
 
 
 
トウカイテイオーはその後どうなったんだ。
 
現役を続けることは知っていたが、情報の少ない時代、テレビの競馬中継などから
漏れてくる情報を待つだけだった。そして初めて聞いた情報が、宝塚記念にまた
ぶっつけで登場するという話。次に聞いたのはその直前、3度目の骨折の話だった。
 
 
「テイオーの夢」の終着点。
 
 
新馬戦から初めてずっと追い続けてきた自分だけの若駒。
馬主でもない自分だけど、調教師でもない自分だけど、高校生が考えることなんて
ちょっと背伸びしたいオトナ程度のことに決まっている。
 
 
よく頑張ったよ。凄い馬だったよ。もうゆっくり休ませてあげようよ。
 
 
ミホノブルボンが時を同じくして骨折から長期休養に入り、
先の見えない状態になっていた(そしてその後そのまま引退する)
 
時代は過ぎ去っていく。その年の日本ダービーでしのぎを削った
ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンの 「新・平成三強」
話題となり、トウカイテイオーの話題を出す人は目に見えて減っていった。
自分もその1人だった。大好きなあの仔も、このまま引退していくんだろう。
 
秋の菊花賞でビワハヤヒデがぶっちぎりの強さを見せ、
BNWの中で頭1つ抜け出た存在になった。競馬界はこれからマックイーンでもなく、
テイオーでもなく、ブルボンでもなく、ビワハヤヒデを中心に回っていく。
競馬ファンとして毎週競馬を追い続けながらも、胸にぽっかりと空いた穴があるような
気持ちのまま過ごしていた。MT対決 に胸を躍らせていたのはもう遠い昔のようだ。
 
 
 
そして迎えた1993年の有馬記念。ビワハヤヒデが4歳ながら1番人気を背負い、
ジャパンCを勝ったレガシーワールドがそれに続く。
 
このレースに"トウカイテイオー"の名が連なったこと自体、本当に驚いた。
宝塚記念で復活が叶わなかったテイオーは、前年の有馬記念以来、
実に「364日ぶり」に ターフに姿を現した。
 
もうテイオーには休んで欲しい。でも、あのまま終わるのは寂しい。
これはテイオーに与えられた花道なんだ。そんなことを考えていた。
 
今考えるとあまりにも不遜すぎる。事実、トウカイテイオー陣営は
この有馬記念を 「引退レース」 にしようなんて微塵も考えていなかった。
でも、数え歳で6歳冬のテイオーに「この先」を見る人はほとんどいなかった。
 
私は本当に心底思っていたのだ。勝ち負けはどうでもいい。
納得のいく「引退レース」であってほしい。本当になんと失礼なことだろうか。
勝ち負けはともかくとして、引退しようと思っていない馬に、引退レースだと言うなんて。
 
 
あのオグリ時代から後も、ちょくちょく家族で競馬の予想をして、
父がきまぐれに馬券を買ってくる生活は続いていた。
 
私はこのとき、父にはじめてこうお願いした。
トウカイテイオーの単勝を100円買ってきてほしい。
"記念馬券" にするからと。
 
 

 
 
馬券といえば枠連のこと。まだそんな時代だった。
もしかしたら父も単勝馬券を購入したのは初めてかもしれない。
この馬券はその後ずっと自分の財布にお守りとして入れていた。
(いつしか無くしてしまったことに気づいてひどく落ち込んだ。写真だけが残った)
 
単勝9.4倍の4番人気。そんなわけないだろう。
 
11カ月の休養明けの6歳馬にはあまりにも勝ちすぎた人気だった。
みんなが記念馬券を買った。トウカイテイオーを送り出すため。夢をありがとう。
本当に、本当に失礼な話だったけども。
 
そうだ、オグリキャップの引退レースも、単勝4番人気だった。人気が勝ちすぎていた。
最後のレースを送り出す気持ちはいつだって一緒だったのかもしれない。
だから、最後だなんて、陣営は誰も言っていないというのに!
 
でも、これも結果論かもしれないけれど、
あのときパドックで見たテイオーの後ろ脚は、ちょっとだけ昔のような雰囲気があった。
バネが跳ねるような柔らかさを見せた気がした。ああ、テイオーが戻ってきたんだなって。
だからといって、1年休養明けのレースで勝負になるとは全く思っていなかった。
 
 
 
JRA公式チャンネル 1993 有馬記念

 
 
本当にどうかしているメンバーだった。G1 3勝馬が1頭(テイオー)、
G1 2勝馬が3頭(メジロパーマー、ライスシャワー、ベガ)
G1 1勝馬が4頭(ビワ、レガシー、チケット、エルウェーウィン)
 
そんな中でも菊花賞で覚醒したビワハヤヒデの強さは2枚も3枚も抜け出ていた。
そのビワハヤヒデが最終コーナーを勢いよく回ってくる真後ろにテイオーがいた。
ビワハヤヒデが信じられないような加速を見せる。
衰えたトウカイテイオーはどんどん離されて馬群に呑まれて終わるはず。
 
 
「・・・とまるな。・・とまるな!!」 (どうした急に)
 
 
テイオーが離されていくビジョンが脳裏をよぎって、しかしその1秒後には、
新馬戦から日本ダービーまでの栄光の軌跡が走馬灯のようにフラッシュバックした。
初めて新馬戦から追いかけてきた「彼」の、天をも切り裂くような脚を夢に見た。
 
ビワハヤヒデに猛然と襲い掛かるトウカイテイオーが、遂に先頭を捉える。
その最後、わずか50mだけ。
 
1歩、2歩、3歩、4歩、5歩、、、、
 
 
 
テイオーが、翔んだ。
 
 
 
そう思った。あの数歩だけ、テイオーの一完歩は凄く長く感じた。
日本ダービーのあのときみたいに、空に駆け上がっていくかのようだった。
いま何度見直してもそう思う。
そうでなければ、覚醒したビワハヤヒデを倒せるわけがない。
 
競馬に詳しい人はジャパンCのほうが強い競馬をしたと言うかもしれない。
でも高校1年のとき新馬の彼に出会って、
高校2年のときにダービーで弾けるような夢を見た。
競馬観戦歴5年の若者だった自分には、あのダービーのときに見た夢が
一瞬だけ蘇ったような気がしたのだった。
 
気づけば私は大学1年生になっていた。
 
 

 
 
トウカイテイオーはこのあとも現役続行を決めて調整するが、遂に再起はならず、
あくまで「結果的に」この有馬記念がテイオーのラストランとなった。
 
30年ちかく経っても未だに語り継がれる "奇跡の復活"
 
トウカイテイオーについては、その戦歴を語るより、その奇跡を語るより、
自分の想い出のほうがどうしても前に出てしまう。
初めて新馬戦から目を付けて、ペーパーオーナーのように行く末を見守った馬だった。
そしてそんな経験は初めてだったのに、その1頭が奇跡の名馬になった。
 
 
このあとも沢山の名馬を好きにになったが、トウカイテイオーだけは他の馬とは
同列に語ることはできない。あのオグリキャップでもだ。それは何故かと問われたら、
やっぱり新馬戦で目に留まってからずっと追いかけてきたからだと思う。
 
そうか、オグリキャップのラストランで私に足りなかったものはこれだったのか。
笠松のデビューレースからとは言わない、せめて中央転厩初戦のペガサスSから
彼を追っていたら、あの有馬記念でも私にもっと違う感情が芽生えていたかもしれない。
 

 
奇跡の復活から24年。アニメ 「ウマ娘プリティーダービー」 が始まった。
主人公はスペシャルウィーク世代、サイレンススズカ世代だったけど、
準主役級に名を連ねたトウカイテイオーにずっと目を奪われ続けていた。
 
そしてこの春「Season 2」で遂にテイオーが主役のエピソードが始まり、
あのときの想いは何倍にも増幅された。ウマ娘のスタッフの皆さまが
どれだけ史実をリスペクトして、思い入れを持って作ってくださっているのか、
あのとき「現役」のファンとして時間を過ごした自分にはとても身に染みてわかる。
 

 
あの日僕らは皆キミに夢を見たんだ。そして日本ダービーで恋におちた。
 
ウマ娘になったキミのキャラソンが 「恋はダービー☆」 だなんて出来すぎだ。
 
3度も絶望して、3度も蘇ってきた。"奇跡の復活"は涙を流して観た。
でもキミを見ていまでも真っ先に思い出すのは、
あの新馬戦と、天まで駆け上った日本ダービーだった。
 
 
 
2021年は「彼」の あの日本ダービーから30周年 にあたる。
 
ウマ娘という形で新たな脚光を浴び、トウカイテイオーというキャラクターと
一緒に楽しい時間を過ごせる環境があることを本当に幸せに思う。
 
「彼」の史実は、戦績は、奇跡は。私でなくても多くの人が語ってくれるだろう。
私はテイオーのことを、若い頃の想い出と分離して語ることはできない。
 
そんな想いは、30年経ってもいまだにフラッシュバックするんだから驚きだ。
 
 
「オレの愛馬が!」
 
 
馬主でもないのに。馬主でもないのにさ。
ウマ娘で出会ったそれは、自分でも驚くほど実感のこもった叫びだった。
 




2021/03/15 [updated : 2021/03/15 04:22]


この記事を書いたのは・・・。
CK@デジモノに埋もれる日々 @ckom
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ckom 2021/03/15
セルクマ。あの日本ダービーから30年。少しだけお付き合いください。
Helfard 2021/05/13
泣ける良い話だった。そして多分、他にも多くのファンが同じように想っていたのだろう。
tomoya_edw 2021/05/13
エモい、競馬そんなに知らない自分でも心動かされた。
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