音楽の輸入権に絡む著作権法改正について

2004/02/17

・海外生産の邦楽CD、国内への還流禁止 著作権法改正へ http://www.asahi.com/business/update/0216/038.html
・輸入盤を「非合法化」する著作権法改正 http://japan.cnet.com/column/pers/story/0,2000050150,20062931,00.htm
・関連するblog: majiさん[海外生産の邦楽CD、国内への還流禁止 著作権法改正へ]
・関連するblog: けんたろさん[音楽 CD に対する「輸入権」導入問題について]
 
日本のレコード会社の許可を受けて、日本のアーティストのCDを台湾や中国で
生産し、現地の適正価格で販売する、音楽の正規の輸出ルートがあります。
同じ品質のCDでも、ご当地の相場を勘案して、台湾では1,300円程度、中国では
600円~800円
程度の値がつくのが普通です。すると、これを日本に逆輸入すれば、
国内で格安のCDを販売できることになります。現状、これは法律違反ではありません。
 
「アジア各国の物価に合わせて少し安めにライセンスしてやってるのに、
 逆輸入して親元にケンカを売るとは何事だ!
 
ということで、この逆輸入(還流)を法律的に止められる手段を作ろうというお話です。
実際、現地生産をライセンスした企業が逆輸入に手を染めているのであれば、
ライセンスを剥奪すれば良いだけのお話で、ビジネス契約の問題だけで済むのですが、
現地ライセンシの手を離れてから販売店などの流通路で束ねられて日本のバイヤに
流された場合はそうした契約では止め様もありません。従って、「法律」という形で
水際でのストップを掛けるしかないという結論に至ったのだと思われます。
 
音楽の販売という既得権を、他者に邪魔されることなく完全にコントロールしたい、
という既存流通会社(レコード会社)の利益だけが目的で作られた法律ではないか?と
不満の声が上がるのも無理はありません。「CDは3,000円」という、価格競争とは無縁の
世界こそがこの業界の支えでしたから、その仕組みを流通会社は常に堅持したがり、
消費者は常に壊したがってきたという、対立の姿勢を更に強めてしまった格好です。
 
ところでDVDやゲームには「リージョン」がありますが、あれは正にここで話題になって
いるコントロール機能を実現しているものです。CDというメディアは長い歴史を持った
古いメディアであるために、そうした機能を埋め込む術が無かったというだけであって、
仮にSACDなど新メディアへの移行が進んでいたとしたら、音楽でも「リージョン」が
当然のように存在する世界になっていたでしょう。そう、「流通戦略のために」です。
 
さて私は、著作物が著作権者(≠レコード会社)にとってコントローラブルである
ことは特に不自然なことではないと思っています。例えば、とある歌手が、
 
ウチ、スカした関東モンが嫌いやから、関西で生まれたいう証拠見せれば
 ウチのCDを1,800円で買えるで。そんかわり関東モンには2,500円や」
 
といった暴挙を貫いたとしても、それによる批難を甘受して余りある何らかの理由で
絶対にそうしたいのであれば、そのコントロールが可能な世界は有り得ると思います。
 
ただし、「コントロールしてもよい」と、「コントロールしても嫌われない」は
同じではありません。上の例はワザとそれをほのめかして見せました。コントロールをした
「理由」ではなく、コントロールをした「結果」が消費者にとって不条理であれば、
その消費者からは嫌われるということは覚悟しなければなりません。長い間既得権を固持
してきた音楽業界は、この点を無意識に甘く見ているところがあるように見受けられます。
 
それは「娯楽は音楽だけではない」「音楽は人間の必需品ではない」という
現実が正しく見えているか?という問題にも繋がってきます。
 
 音楽を欲しがる人が減るハズはない。音楽は人々に無くてはならないモノなのだから。
 CDを3,000円でしか買えない状況ならば、人々は仕方なく3,000円を出すだろう。
 そして昨年と同じ品質のCDを出せば、昨年と同じ枚数が売れるハズなのだ。
 
と・・・、まるで娯楽としてのライバルが居ないかのような前提で振舞っているように
見えます。だからこそ、売上が下がったときも「我々は今までと同じようにやってきた
のだから売上が下がるハズがない。なのに下がったということは、原因は海賊版だ」と
いう「楽な帰結」に向かいがちです。実際には消費娯楽の奪い合いがあり、
人々が娯楽に費やすことのできる有限なお金を、沢山の娯楽業界が奪い合っているのです。
 
少なくともネット接続(2,000円/月~)とケータイ(4,000円/月~)が登場し、娯楽費用から
問答無用でCD2枚分/月が削られています。音楽業界は今後、こうした様々な敵と
大衆娯楽のポジションを争って進化していかなければならないのです。頑なに再販制度に
拘ってポジション争いから脱落した身近な例が「読書」です。読書を趣味として楽しむ人
は激減しました。私は真剣に、音楽がいずれ同じようになるのではないかと想像しています。
勿論そうならないことを願っていますが、レコード会社が「現状を如何に維持するか」に執着する
姿勢を続ければ、「それ」はそう遠くないうちに訪れるでしょう。音楽は必需品ではないのですから。
私たちも「有限の娯楽資金」を何に使ったらいいのか、じっくり考えて選択していきましょう。


2004/02/17 [updated : 2004/02/17 13:21]


この記事を書いたのは・・・。
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▼ コメント ▼

No.2110   投稿者 : arata   2006年3月 3日 11:02

「有限の娯楽資金」についての議論はそのまま
「有限の娯楽時間」についてもあてはまる。
読書はむしろここで負けたのではないかと私は思っています。
「5分で分かる」本が「1週間かけないと読めない本」を駆逐し、
「買いに行かなくてもその場で見れるweb」が「5分で分かる」本を駆逐する。



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