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2005/07/03 23:59 - 2005/07/03

歯車は勝手には回らない - 回らないものが回り始めるとき

カテゴリ : コラム タグ :

    「日本語はHipHopに向かない」
     
    そんな話題がネット上で駆け巡っていました。コトの大まかな流れは、
    絵文録ことのはさんの記事にて、関連記事がまとめられています。
     
    ■絵文録ことのは「日本語ラップ問題と音節構造」
    http://kotonoha.main.jp/2005/06/29japanese-rap.html
     
    90年代初頭にNaughty by Natureやら、Jazzy Jeff & Fresh Princeやら、
    C+C Music Factoryやらを聴きまくっていた私にとって、HioHopはともかく、
    日本語でラップする スチャダラパーに出会ったときの衝撃 は物凄い
    ものがありました。他に日本語でラップするグループといえば、EAST END×YURI、
    電気グルーヴ、あとはSOUL SCREAMくらいしか知りませんでした。
     
    それからしばらくして、Rhymesterやら、Nitro Microphone Undergroundやら、
    Vibrastoneやら、山嵐やらが活躍している時代を私はすっかり知らずに過ごして来たのですが、
    その後は皆さまもご存知の通り、Dragon Ashに始まるHipHopブームが到来。
    Japanese HipHopはアングラからメインステージにのし上がったのでした。
     
    Rhymester、GAKU-MC、m-flo、Mic Banditz、Rip Slyme、ケツメイシ、
    SOUL'd OUT、DABO、韻シスト、Muro、Tokona-X、・・・、90年代初頭に
    スチャダラパーを聴いて「日本語でもラップできるんだ」と目を輝かせた人間に
    とって、これだけ沢山のグループが 「日本語を交えたラップ」 を、10年前よりも
    遥かに流麗に刻んでいく今の状況は、まさに 夢のような世界 なのであります。
     
     
    いえ、今回は日本語とラップの関係についてお話したかったワケではありません。
     
     「ニッポンにHipHopは根付かねぇ」 なんて何の意味がある?
     (Rhymester「ウワサの真相」より)
     
    とRhymesterのMummy-Dさんは言いました。私はこの言葉を聴いたとき、いつも
    思い出すことが1つだけあります。それは、2000年頃に聞かれたこの言葉です。
     
     「EC(電子商取引)は日本には馴染まない」
     
    どれほどたくさんの企業が、この言葉を自らのネット戦略が思うように進まない
    理由として挙げ、ステージから去っていったでしょうか。そして2000年頃まさに、
    Amazonや楽天が奮闘しているのを見て 「アレらもいずれ立ち行かなくなる」
    と斜に構えた人は少なくなかったハズです。
     
    しかし振り返ってみると、Amazon、楽天は、少しずつ、着実に、ECの文化を民衆に
    浸透させていき、その分野では誰も手がつけられないほどに強大な力を手に入れて
    いきました。その他の企業は文字通り、指をくわえて見ている側に回ったのです。
     
    もう1つ気になっている言葉があります。ときどき聞く言葉です。
     
     「所詮ネット言論では、リアル社会は動かせない」
     
    ここでも私はまた、同じように HipHopや、ECのことを思い出すのでした・・・。
     
     「できない」 「適さない」
     
    人々は簡単にそう言い放ちます。しかしそれは、人間の努力による進化と洗練を
    以ってしても絶対に覆らない構造的問題か何かを根拠としているのでしょうか。
    「今、洗練されていない」という判断は誰でも下すことができます。しかし、
    「将来も洗練されることはない」 という判断は、誰がどうやって下すのでしょうか。
     
     
    アラン・ケイさんの、有名な言葉があります。
     「未来を予測する最良の方法は、それを発明してしまうことだ」
     
    「できない理由」 を1つ見付けた人は、それによって「実現」から1歩遠ざかります。
    一方、できないことをできるようにするために、1歩1歩努力する、その積み重ねが
    「他人にできないこと」=「価値のあること/お金を貰えること」を生み出します。
     
    長い歴史を持つビジネスはどれも、結果を出している背景に必ず「洗練の歴史」を
    持っています。逆に、短い歴史しか持たないものは、洗練を進めている最中であり、
    その時点では未熟であるかもしれません。長い歴史を経て洗練されたものと、
    現在未熟なものを比較すれば、必ず歴史によって洗練されたものが勝つでしょう。
     
    しかし、それは 未来の戦いを何も示唆していません
     
    たった1~2年だけで「ECは流行らない/割に合わない」を見切りを付けた企業が
    続出した裏で、Amazonと楽天は延々とイバラの道を這いずり回りました。
    そして今誰も、その彼らに手が出せないことを思い出してください。
     
    あらゆるものは、「時間による進化と洗練」 を前提として、その影響力を測る必要がある
    のです。それは ネットジャーナリズム とか、ネットマーケティング でも同様です。
     
     「結局、今も新聞やテレビは強大だよね。
      ブログが世論に影響を与えるなんて有り得ないよね。」
     
    人々はそう言います。そしてそれは、とてもアタリマエのことです。
    数十年の齢を重ねた 旧メディア(新聞、テレビなど)の業務プロセスに、
     
     生まれてよりわずか数年の洗練度で追い付くハズが
     
    ありません。ネットをどのように使えば強大なメディア足り得るのか、
    それは、これから長い時間を掛けて試行錯誤を繰り返し、
    様々なプロセスを洗練していって初めて判るものなのです。
     
    だから数年では簡単に結果は出てきません。(まるで2000年頃のAmazonのようです)
    その不遇の時代に、進化と洗練のために懸命に努力を続けた人々だけに、
    洗練の効果が出始めたときの大きな利益を手にする権利があります。
    あきらめが早く見切りをつけた人々は、その時ステージにはいないでしょう。
     
     
    「良い仕組みを作れば良くなる」「儲かる仕組みを作れば儲かる」ということを
    まっすぐに信じ、初期の仕組み(ビジネスモデル?)作りを念入りに行うことが
    成功への第一歩だと考える風潮があります。これは実はとても不思議なことです。
     
    最も大切なのは、仕組みを、時と共に如何に進化・洗練させていけるかどうか、
    ということであり、初期に作られた仕組みは、単なる道しるべ にすぎません。
    知恵も経験も足りない初期の仕組みで 失敗するのは当り前。失敗を重ね、失敗の度に
    努力し、次は成功するように変えていく、その変化プロセスこそが最も重要なのです。
     
    それは本物の人間を動かす仕組みを作り上げるという意味で、スポーツの練習
    と何ら変わりません。最も効率の良い投げ方の研究をしても大投手にはなれませんし、
    連携プレイの練習を繰り返さなければ、ゲッツーの取れるチームは作れません。
     
     「ECは成功するか?」 「ブログはビジネスになるか?」
     
    まるで外部要因の分析が全てを決めるかのような言い草になったとき、
    つまり、「自分の能力の進化」というパラメータがあるにも関わらず、
    外部要因のほうが大きなパラメータ だと認識してしまった時点で、
    それは「ピーキーすぎておまえにゃ無理」なのです(?)。暴れ馬を見て、
     
     「この馬は、乗れる馬ですか?」
     
    と聞いてくる人を、ステージは必要としてくれません。残酷なお話です。
     
     「あんたにゃ乗りこなせんでしょうなぁ。
      私はやりますよ。誰がやらなくてもね。」
     
    そう言い切った人だけが、ステージに残るのです。ステージに残った人はきっと、
    「できない」「適さない」という言葉を笑い飛ばすような世界を作っていくことでしょう。
     
    可能性を持った大きな歯車が、なかなか回りださないことがあります。
    その原因は大抵の場合、歯車のほうにはありません。
     
     「歯車は、自分がそれを回す力を付けない限り、回らない」
     
    ECが浸透し始めたのは、ECが「回る歯車」だったからではありません。
    それを回すために延々と努力を続けた人(Amazon、楽天)がいたからなのです。
    さぁ、ネットメディアはどうですか? この歯車を回すのは誰でしょうか?

    CK@デジモノに埋もれる日々 @ckom
    ブログ「デジモノに埋もれる日々」「アニメレーダー」「コミックダッシュ!」管理人。デジモノ、アニメ、ゲーム等の雑多な情報をツイートします。



    投稿者 CK : 記事URL | コラム | | 2005/07/03 23:59


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    ▼ コメント ▼

    No.1412   投稿者 : しろくま417   2005年7月 4日 04:18

    ものすごく頷いてしまいました。
    いままさに世の中に感じる違和感をすっきり解消してもらった気分です。

    そして僕自身の、「何事に対しても斜に構えて結局認めたがらないところ」(器のちっさい所)を、「何でも受け入れられる」(大きな器)へと成長させていけたらと思います。

    すばらしい再認識の機会をありがとうございました!

    これからもデジモノがんばってください。


    No.1413   投稿者 : 起業家支援事務所のブログ   2005年7月 4日 22:18

    拝見しました。
    「歯車は、自分がそれを回す力を
    付けない限り、回らない」

    ご意見に賛成です。
    独立開業のご相談に応じていて
    残念なことは、「本当にできるの?」
    という猜疑心の強い方がいることです。

    成功事例や事例を元に、その方に
    あうと思われる方法をご紹介しても、
    「私にはできない」と言う方が少なくありません。

    「とりあえず、半年は仕事依頼の
    電話が鳴らないことを覚悟されてやれば大丈夫。」
    このようにいうと、簡単にあきらめてしまいます。

    「できない」のではなく、「やらない」
    だけなのだ、こう思う日々です。


    No.1415   投稿者 : みう   2005年7月 5日 16:31

    人生観としてはそれで良いかもしれません
    他人を励ますため、他人に「見落としてることはないか?」と喚起する意味では
    この文章はたぶん成功であり、きっと出来の良い文章なんでしょう。

    でもきっと世界には「回らなかった歯車」も存在してるんです
    歯車を回そうと努力したけど結局回せなかった人はなにが駄目だったのか?
    回す努力が足りなかったのか。そもそもその歯車を回そうとしたこと自体が間違いだったのじゃないか。

    日和見の人間を後ろ向きであるとか保守的であるとか
    そんな一言で簡単に切り捨てて行くととてつもないうめき声が聞こえてきます


    No.1418   投稿者 : 匿名   2005年7月 6日 01:09

    うーんお言葉はもっともなのですが、それは時間が在るからのような気がします。
    私の上司に「同じ人間にできる事なんだからできるだろうが」という人間がいますが、熟練した人ができることを、今日今すぐにやれといわれると、そりゃ「できない」というしかないと思います。


    No.1419   投稿者 : 飛鳥井 誠一   2005年7月 6日 02:04

    管理人の言う所も正しいし、みうさんがコメントで言いたい所もなんとなく想像がつきます。
    この世界は結果しか残らない世界であり、その結果も結果となる(成功となる)前に意図されていた中身とは異なってしまう事も多いのではないだろうか?
    最初に考えた人は(こんなつもりじゃなかったのに)と結果に頭を抱えているかもしれない。身近な例ではこういうBlogでのエントリーやコメントがそうだ。思いもよらぬ反応に困ってしまう事はBlogをつけている人であれば一度や二度はあるのではないか?
    と、同時にみうさんのコメントのように同じような志半ばで力尽きる人が必ず居るだろう・・・だが、それは決して無駄にはならないと私は信じる。人の意思は必ず何らかの形で他人に影響する。だからこそ、私はこういうBlogの可能性を信じたいし、にわかにブームになっているソーシャルネットワークに対し、謳い文句通りの魅力を感じずにいられない。
    よく、Blogの時代は終わった。これからはSNSだ!と言う意見や、Blogは新しいジャーリズムであり、無くなりはしない。と言うような意見を見るがまだ結果は出ていない。
    個人的にはまったく各々別次元の存在であり、それぞれに可能性がありそれを担うのは私たち自身だと思う今日この頃である。


    No.1420   投稿者 : kaz   2005年7月 6日 06:27

    J-HipHopの源流にある高木完やECD、古くはいとうせいこう周辺の人々が試行錯誤した背景を含めないと、「日本語はHipHopに向かない(のでは?)」という焦りのようなモノをつかみきれないのでは。記事の主旨と異なりますが念のため。


    No.1421   投稿者 : はみ   2005年7月 6日 12:43

    いや、かめはめ波を出すのって、俺には無理なんだよね。
    踊空術も俺には向いてないし。


    No.1422   投稿者 : 北野   2005年7月 6日 16:44

    でもサザンの力は認めざるをえないよね


    No.1425   投稿者 : 匿名   2005年7月 7日 01:27

    面白い意見だなぁと思ったと同時にすっきりしました
    最近ネガティブシンキング思考な記事ばかりにぶつかってたのでどうも気分がよろしくなかった所だったので、
    単純にポジティブな意見を読めて、読んだ後むかむかした気分なく読めました。


    No.1426   投稿者 : 松永英明   2005年7月 7日 08:14

    リンク先まで見ないで解釈する読者がネットには多いので、念のため蛇足コメントです(CKさんは誤解されていないと思いますが)

    リンクしていただいた「日本語ラップ問題と音節構造」で書いたのは、日本語の音節構造はそのままだとラップに向いていないというだけの話であって、裏返して言えば工夫が必要ということですし、「日本語ラップは日本に根づかない」というようなことはまったく考えていません。むしろ、工夫すれば独自の日本的ラップが生まれておもしろいだろう、と考えています。向いていないものは、むしろその壁を乗り越えたときに別のものに化ける可能性があって、それはそれで楽しみだと思います。


    No.1431   投稿者 : CK   2005年7月 9日 15:50

    みなさま、様々なご意見ご感想を頂きありがとうございます。私自身もいろいろ考えさせられました。
    数が多くなりましたので個別のお返事をすることができませんが、ご容赦くださいませ。
     
    このエントリは「何ごとも不可能はない。だからとにかくチャレンジしよう」という風にも読めますが、
    実のところ言わんとしているところはその裏側にあります。俗に言われる「成功」というものは、
    本人にとってはルーティンワークに思えても、第三者から見れば狂気のような努力の積み重ねの結果です。
    「iPodのようなヒットを生み出したい」「Yahoo!のような巨大ポータルを作りたい」
    人々は簡単にそう口にしますが、それは甲子園で優勝するより遥かに難しいことです。
    しかしほとんどの人は、死ぬほど苦しいランニングも素振りも猛特訓もやりたがりません。
    そして円陣を組んでこう叫びます。「いいか、どうやったら甲子園へ行けるか、みんなで協議するぞ!」
     
    私がこのエントリで一番強調したかったことは、「できない」という言葉は、常に自分にしか
    使えないということです。「(私には)できない」と言うことはできても、「(誰にも)できない」
    と言うことはできません。いつか誰かの狂気が現れ、その「できない」を吹き飛ばすでしょう。
    逆に言えば、他人が「できない」と諦めていることをあえてやってみせる人にしか、成功は訪れません。
     
    ビジネスという歯車を回す人を特定せずして「この歯車は回るか?」という問いは成立しません。
    狂気の努力をして成長する人が居る中で、「この歯車は永遠に回らない(はず)」という仮定も成立しません。
    もしその歯車が自分には回せないモノであったとしたら、そこには「その歯車は回らなかった」ではなく、
    「この歯車は自分には回せなかった」という事実だけが残ります。もっと力があれば回ったかもしれないのに・・・。
    私がこのエントリで考えてみたいと思っていたことは、そんな感じのことです。勿論、自省も込められています。


    No.1432   投稿者 : CK   2005年7月 9日 15:56

    ●松永英明さん
    参照させて頂きましてありがとうございました。
    勿論、松永さんが「Japanese HipHopの成功/失敗」という問題には触れずに、
    言語的特徴から考察を試みるというお立場を取られていたことは承知しておりました。
    いつも興味深く拝見させて頂いております。m(_ _)m


    No.1437   投稿者 : HYU   2005年7月11日 12:39

    > 「この馬は、乗れる馬ですか?」
    > 
    >と聞いてくる人を、ステージは必要としてくれません。残酷なお話です。
    > 
    > 「あんたにゃ乗りこなせんでしょうなぁ。
    >  私はやりますよ。誰がやらなくてもね。」
    > 
    >そう言い切った人だけが、ステージに残るのです。ステージに残った人はきっと、
    >「できない」「適さない」という言葉を笑い飛ばすような世界を作っていくことでしょう。

    ここを読んで、欽ちゃんの「聞いたらおしまい」という言葉を思い出しました。
    欽ちゃんも、お笑いというステージに残った一人だという事が、あらためて実感できました。


    No.1450   投稿者 : CK   2005年7月17日 05:20

    ●HYUさん
    なるほど、欽ちゃんのお笑いも「開拓者意識」から生まれたのですね~。
    未踏の地に一人歩みを進めるというのは、想像以上に恐ろしく勇気の要ることですが、
    その恐怖との戦いの連続が、いつの日かその人物を大物にしていくのかもしれません。


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