全てを留保する - 矛盾のない状態を保つ思考マネジメント

2006/07/23

日曜コラムです、こんばんは。
 
今回は情報の確度という視点についてお話します。
ネットを使った情報収集を続けるうちに養われるのは、
 
 「あらゆる情報にはとりあえず疑問符が付く」
 
という意識です。これを肌で感じる機会が、ネットという情報洪水の中では
頻繁に発生します。そして、それを受けた自分自身の「立ち位置」を明確に
することは、それほど簡単なことではありません。
 
 
例えば、はてなブックマークには、時事のニュース記事やブログ記事に対して
簡単にコメントを書き残すことができます。自身のブログでも同様です。
 
ある日、あるブログ記事Aに感銘を受けて「そうそう、そのとおり!」と
賛同を表明したとしましょう。次の日、別の記事Bにも感銘を受けて
「そうそう」と同じ様に賛同したとき、
 
 よくよく見ると、その両者は対立事項であったりします。
 
「あれっ? じゃあどっちを支持して、どっちを批判するの?」
と思っていると、また次の記事Cが現れて、記事A、記事Bを批判する立場を
とっている記事Cがとても説得力あったりします。
 
さぁ、あなたはここで小さくも重要な決断を迫られることになります。
あなたが記事Aを支持したことは、ブログやブクマでみんなが知っています。
記事Bや記事Cを支持するなら、記事Aを支持したことは取り消さなければなりません。
でもそこで記事A支持を貫いたとして、たった今記事Bや記事Cに対して感じた
「そうそう!」という気持ちは、一体どこに行けば良いというのでしょう。
 
ネットの中では、言葉は永遠に残り続けます。それを矛盾なく管理していく
ことは、実はとても神経を使う作業です。
 
 「そんなこと気にせず、思ったことを吐き出せばいいじゃん。
  多少の矛盾があっても、誰もチェックなんてしてないっしょ。」
 
そう考える向きもあるでしょう。ただ、これを意識することは、
自らの思考を「ネットを媒介にして」整理する意味でもとても有効です。
 
 
どんな事象でも、それなりに説得力ある勢いで表現することはできます。
しかし、それに流されていると、そのときの気分によってすっかり別々の
意見に賛同してしまったりします。ワイドショーの煽りに乗って
「そうだそうだ!」と言っているときがまさにその状態です。
 
しかし、ネットでの発言はその場限りで消えたりはしてくれません。
過去のちょっとした意見表明が、いつまでも、いつまでも残り続けて、
 
 「あのときはAを支持していたくせに、今はその反対の
  Bを支持するっていうのはどういうことだ?!」
 
と突っ込まれる要因をもたらすことになります。
そして、そうなってみて初めて、立場に沿った意志表明を慎重に
しなければならないことを覚えはじめることになるのです。
 
 以前に自分が表明したアレと矛盾しないかな?
 これを批難するってことはアレも批難するってだよな?
 
全体を見ながら、自分の表明すべき意思を作り上げていく作業は
思ったより重労働となります。自らの意思が形として残っていればいるほど、
過去の自分と矛盾のない折り合いをつけることは難しくなってきます。
 
すると徐々に分かってくることがあります。
 
 安易に表明した意思は、次の意思表明の機会を邪魔する
 
ということです。あちこちで「そうだそうだ!」「その通り!」と
完全な賛同を繰り返していると、自らの中で、それらを全て矛盾なく
飲み込んでくれる芯の通った意思が形成不可能になってきます。
 
そうなる前に、あらゆる情報はひとまず「留保」という状態で
マネジメントされなければなりません。いや、ネットに限らず。
 
 「○○飲料は、カラダの余分な成分を排出してくれる」
 
という広告を見かけて、頭の中で「これはすごい」タグを付けている
状態を思い浮かべてください。ネットでもそうでない場所でも、
思考の管理のやり方は同様です。
カラダの余分な成分を排出、という情報を鵜呑みにせず、
ひとまず疑問符を付けつつ留保していれば、いつかは自然に、
 
 何でそんなすごいものが、全国の病院で採用されていないんだろう?
 
という矛盾と対決を迫られることになるでしょう。
(いや、そんな大げさな思考実験をしなくても判るとは思いますが)
世の中、よーく考えてみれば
 
 「ちょっと待てやコラ」
 
というものがいっぱい存在します。その1つ1つに、その場の勢いで
賛同していては、どんどん自分自身が迷走していってしまうのです。
 
 
■「シュレディンガーの猫の核心」が核心をついていない理由
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060618/1150590590
ふたを開けた結果、死後一時間の猫が発見されたとしても、それは、
猫が死んでから一時間後にふたを開けたことにはなりません。
そうではなく、ふたを開けた瞬間に、一時間前に猫が死んだという
過去の事実が決定されたのです。これが、観測による蓋然性の収縮です。

テレビのスイッチを入れて、一時間前にアフリカのどっかの国の大統領が
暗殺されたというニュースを見た瞬間に、一時間前にその大統領が暗殺
されたという過去の事実が、決定されるのです。二億年前の地層を掘り返して、
恐竜の化石を見つけた瞬間に、二億年前のある日そこで恐竜が死んだという
過去の事実が決定されたのです。
でも、それは、観測者であるあなたにとって決定されただけで、
別の観測者からすると、その観測者が観測するその瞬間までは、
あなたがそれを観測したという事実や、何をどのように観測したか
というさまざまな可能性は、たくさんの蓋然性の濃淡パターンとして
広がっているだけなのです。

 
情報を矛盾なく取り込むのがとても難しいのは、人々が簡単に口にする
「動かしがたい事実」 などという事象が、

 実はひとりひとりの心の中にしか存在しない からです。

全員にとって同じ意味を持つ「事実」などというものは、
実際には存在しません。
 
上記の記事にもあるように、あなたが情報を摂取するとき、それは
他者の解釈を経た他者の中の「事実」を受けて、あなたの中に
あなただけの「事実」を作り上げるという作業をしているにすぎません。
観測=情報摂取の結果、「あなたにとっての事実」という認識事象が
決定するだけで、そこにある「モノ」=「事実」は何も決定されないのです。
 
小難しい話はさておき、ちょっと思考実験をしてみましょう。
 
あなたはある日、とあるニュースを聞きつけました。
コンテクストベースでの認識は、その連鎖を誘っていきます。
あなたが摂取するのは、媒介者たちの「事実」認識を経由された情報です。
 
 
アルカイダ の重要な指導者の一人の死亡が確認された」
 →「と、AP通信 が伝えた」
  →「と、TBSのアナウンサー が言っていた」
   →「という映像が TV から流れてきた」
    →「という情報を 私が認識 して驚いた」
 
「アルカイダの重要な指導者の一人の死亡が確認された」
 →「という情報を受けて 世間 はショックを受けた。」
  →「と、CNN は伝えている。」
   →「と、NHK で報道された。」
    →「という情報を聞いた 友人A は「これでテロも減る」と言ってほっとしていた。」
    →「という情報を受けて 芸能人B は「米国の政治暴力だ」と言って怒っていた。」
 
 
どうでしょう? 「ホリエモンが逮捕された」 でも思考実験してみましょうか?
試すまでもなく、「同じ事実」だったハズの情報は様々な思考を誘発していきます。
 
 つまり、「同じ事実」だという前提自体が間違っているのです。
 
「事実」とは実際には「解釈」のことであり、全く同じ事象は、
沢山のヒトの解釈の可能性が分散された状態で留保されています。
 
ワザと極端な例を出してみましょう。
 
アルカイダと米国流正義が対決している中で、あなたは
「アルカイダは自分の宗教のことしか考えない極悪非道のテロ集団だ」という解釈と、
「米国流正義は侵略のための建前であり、当然反発を招いている」という解釈と、
そのほかにも色々な解釈があることを知るでしょう。そんな中、
 
 「実はアルカイダと米国は、『米国の敵』をワザと作って
  軍需産業を太らせ、その利益を山分けしている
 
・・・なーんて解釈も、・・・流石にないか。無いような気もしますが、
こうした解釈の可能性をあっさりゼロにするワケにはいきません。
 
ここまで極端な事象でなくても、通常、事実(解釈)というものは
常に0か1でなく その中間の確度 で存在し、あなたが今後摂取する情報材料によって
その確度は大きく揺れ動く可能性があるのです。それを矛盾なくマネジメントして
自らの意思をブレなく表現することはとても難しいものになるでしょう。
 
そうして考えると、他者との関わりを前提としない「事実」 は何ももたらさない
ことが判ります。上記のように、さまざまな確度の情報を抱えたうえで、
それを自己の中で矛盾なく飲み込めるような解釈を1つ1つパズルのように
あわせていくと、そこにはある程度自由に動かせる解釈と、自らの生活や実体験、
主義主張に触れることで「絶対に譲れない」確度の情報が混在していることに
気が付くでしょう。他者との関係の中で自らが必要とする 「立ち位置」
踏まえた認識事象が、初めてあなたの中の「事実」になるのです。
 
 
最後にはてなブックマークやブログの話に戻りましょう。
私は以前、ネットに自分の意思を置くことを囲碁に例えたことがあります。
置いた石は後から動かすことができないとして、盤面全体を見て
 
 おおむね矛盾のないように盤面をコントロールすること
 
を考えると、それはなかなか大変な作業となるでしょう。それを難しく考えず、
多少の矛盾は気にせず突き進め!というのも確かに1つのやり方です。でも、
矛盾のない意思のマネジメントを心に留めておき、情報を常に0から1の中間の
確度であるという認識で取り扱うことは、あなたの思考の錬度を上げる意味でも
興味深い作業となるはずです。
 
世の中に、一生解釈の変わらない「事実」 なんてものは存在しません。
たたでさえあなたという個人の中でも、歳を取れば考え方に変化が生じるのです。
いわんや世界中のヒトが個々人の中に持つ「事実」は、その比ではありません。
そんな中で、あなたの今のところの「事実」は、あなたの中だけで決定されるのです。


2006/07/23 [updated : 2006/07/23 23:59]


この記事を書いたのは・・・。
CK@デジモノに埋もれる日々 @ckom
ブログ「デジモノに埋もれる日々」「アニメレーダー」「コミックダッシュ!」管理人。デジモノ、アニメ、ゲーム等の雑多な情報をツイートします。




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▼ はてなブックマークのコメント ▼

setofuumi 2006/07/24
留保するということ
TOM2005 2006/07/24
祭りに参加して血祭りになるなかれ?
lastline 2006/07/25
心の中にあるんだよ!!
mind 2006/07/26
個人の中でも、歳を取れば考え方に変化が生じる。世界中の人々が中に持つ「事実」は…。そんな中、あなたの今のところの「事実」は、あなたの中だけで決定され ――「自分database」の整合性確保。/葛藤は創作の母。
walkinglint 2006/09/28
> あらゆる情報にはとりあえず疑問符が付く
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