共感を失わないために - 興奮と感動の「ギャップ・コントロール」

2005/10/02

日曜コラムです、こんばんは。
 
女子ゴルフのメジャー、日本女子オープンで、宮里藍選手 が史上最年少の
優勝を飾りました。それも2位に5打差をつける終始危なげない圧勝劇です。
 
この日集まった観客の数は 25,000人 とも言われています。女子ツアーでは
過去に例を見ないほどの大観衆でした。一番印象に残っているのは、
最終組の宮里選手が最終ホールのグリーンに向けて歩いていく場面です。
最終日の最終組が通り過ぎた後のフェアウェイは、もうプレーをする人が居ないため、
観客が自由に立ち入ることができますが、その宮里選手の後を、
 
 もの凄い数の観衆が、ゾロゾロ、ゾロゾロと、
 
宮里選手に導かれるように群れを成して歩いていったのでした。
それはさながら、マハトマ・ガンジーの「塩の行進」の如くです。
 
この映像に大きな感動を覚えた方々も多いことでしょう。その一方で、
この映像に 強い違和感 を感じた方々もまた、私だけではないと思います。
 
宮里選手のプレーの素晴らしさは誰もが認めるところですが、それにしても
ゴルフ界の話題は毎日毎日が 「藍ちゃん、藍ちゃん」 の連続。
今回はNHKの放送でしたが、他のツアーの日の民放の放送ではそれに輪を掛けて、
「藍ちゃんフィーバー」を徹底的にアピール。不動選手や大山選手がトップを
走っていても、カメラが捉えるのは常に「藍ちゃん」という具合です。
 
もちろんこれは、宮里選手本人が云々という問題ではありません。
 
 あくまで、メディアを通して見る「藍ちゃん」 への辟易感
 
であり、宮里選手ご本人が偉大であることに変わりは無いでしょう。
 
同じような思いは、あちこちで感じることができます。
 
韓流ブームの「ヨン様の追っかけ」のニュースを見ていたとき。
マツケンサンバが東京ドームで2万人コンサートを行ったとき。
Vリーグの放送やサッカー日本代表の放送で、アナウンサーが
一人で興奮して、必死に感動の雰囲気を作り出そうとしていたとき。
 
TVの前で人は、溜め息混じりで、こう呟きます。
「・・・・いくら何でも、騒ぎすぎじゃないのかなぁ?」
 
 
こうした、異常な盛り上がりが 視聴者を置き去りにする現象 というのは、
一概におかしいと言えるものではありません。人が感じる興奮や感動はそれこそ
人それぞれであり、現実にヨン様ブームも、マツケンサンバも、実際にその興奮の
渦中に居る人は、あの異常な盛り上げにピッタリとシンクロできるのかもしれません。
 
問題となるのは、視聴者の興奮や感動の量と、メディアが演じる
 
 興奮・感動の量のギャップ・コントロール
 
です。視聴者は、メディアが 自分と同じ興奮・感動 を持ってそれを報道してくれると、
強い充足感に満たされます。そして更に、自らの興奮・感動を 多少 超えた
量の興奮・感動を受けると、それはまた新鮮な驚きとなって視聴者を襲います。
 
この「多少」という部分が重要です。視聴者の感じる興奮・感動を大きく超えた量の
興奮・感動を与えられると、視聴者は興奮・感動の増幅よりも前に 「共感の喪失」
を味わうことになります。
 
 「このメディアとは、興奮・感動のツボを共有できそうにない」
 
そう思われたら最後、少なくともそのテーマ(例. 藍ちゃん)に関しては、
メディアからの声は視聴者には一生届くことがありません。やみくもに
「凄いです! 感動です! フィールドの黒豹(?)、○○選手の華麗なプレー!」
などと煽ってみたところで、必要以上にアクセルを吹かせば吹かすほど、
視聴者はおいてけぼりを喰らってしまい、急激に醒めてしまいます。
 
しかしメディアも、視聴者の言うことを黙って聞いているワケには行きません。
 
視聴者の興奮・感動は、放って置いただけでは「急激な上昇」をしてくれないのです。
この 興奮・感動の量を雪だるま式に増やしていくこと こそが、メディアの
商売なのですから、メディアは何としても、興奮・感動の増幅を煽らなければなりません。
 
私は上のほうで「ギャップ・コントロール」という言葉を使いました。
メディアに求められているのは、視聴者との微妙な距離感、すなわち、
 
 ・視聴者に近い立ち位置で 「共感」を醸成し、声を届かせる。
 ・視聴者より 一歩だけ先んじる ことで新鮮な興奮・感動を提供する。
 
という、誘導者の役割を意識し自らの進むスピードを決定する「さじ加減」です。
 
往々にしてメディアは、その能力のあまり、アクセルを踏みすぎてしまいます。
しかし前述の通り、一歩一歩導いてあげれば興奮・感動を際限なく膨らませて
くれるハズだった視聴者は、二歩三歩と突き放されることによって
 
 一瞬でやる気を失ってしまうのです。
 
まだ無名だった歌手(グループ)を好きになり、下積み時代を何年も追っかけて
騒いでいた人が、その歌手がメジャーに踊り出て ヒットチャートの常連に
なった瞬間に醒めてしまう、そんな話を聞いたことがありませんか?
 
こうした現象は、「自分だけのモノが、みんなのモノになってしまって落胆する」
のように、往々にして 独占欲と関連付けて 説明されます。しかし私は、これが
前述の 「共感の喪失」による醒めのモデル で説明付けられると考えています。
 
歌手が急激にメジャーになり、自分が感じている興奮・感動を遥かに超えるレベルの
「この歌手で興奮・感動してください! ほら! ほら!」というメッセージが
流れ込んでくることで、その歌手に関するメディアと自分自身の考え方に、
共感の余地が無くなってしまうのです。共感できない者からの声は、
いくらボリュームを大きくしても、決して視聴者の耳に響くことは無いでしょう。
 
 
こうした興奮・感動のギャップ・コントロールは、実際にはとても舵取りが難しい
ものです。前述したとおり、視聴者が感じ求めているのは、一人一人が全然違う
レベルの興奮・感動量です。当然、その全てに合わせることはできませんから、
大まかに平均的な視聴者の興奮・感動の分布を考えて、マジョリティに対してサービス
することを考えなければなりません。そして、視聴者の興奮・感動にピッタリ合わせず、
いつでも一歩だけ進んで興奮・感動を煽ります。逆にちょっと気を抜くとすぐ
二歩、三歩先んじてしまうところを、ぐっと我慢する のも大切な心得です。
 
メディアとは「共感され、誘導する」ものです。
共感されないメディアには誰も耳を貸しません。
しかし誘導をしないメディアには、そもそも価値がありません。
メディアとして生きる人は、自らの発する言葉が共感を生み出しているかどうか、
そのことをイヤというほど気にするべきでしょう。共感と誘導は本来は相反します。
誘導ばかりに目が行ってしまっては、あっという間に共感を失ってしまいます。
 
 いかにして「共感」を失わずに「誘導」を行うか?
 
それが、繰り返し強調している「ギャップ・コントロール」です。
昨今のメディアは、誘導の方向を強く持ちすぎているきらいもあります。
まず何よりも必要なのは、「共感」を得るための 立ち位置の確立 なのです。


2005/10/02 [updated : 2005/10/02 23:59]


この記事を書いたのは・・・。
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wacky 2005/10/03
視聴者とメディアの間にある感動・興奮の温度差をうまくコントロールして「共感」を失わずに「誘導」する。
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No.1725   投稿者 : チェシャ   2005年10月 3日 12:43

”一歩だけ先んじる”重要ですね。全然関係ないですが、電車の車輪とレールの間の摩擦を示す”粘着力”も現在の速度よりもちょっと速い速度で車輪が回転する場合(一歩先行く)場合に最大で、それ以上になるとスリップが発生する。とかいうのを思い出しました。ちなみに、逆にブレーキをかけるときも現在の速度より常にちょっと遅い速度で回転する場合が最大、それ以下、例えば車輪を静止してもスリップするだけで青銅距離は伸びます。このあたりは車だとABSとかトラクションコントロールに相当する話でしょうか。


No.1786   投稿者 : CK   2005年10月23日 04:12

●チェシャさん
なるほど、トラクションコントロールのお話はピッタリですね。
私は昨今のTV番組はかなりスリップしている(=スベっている?(笑))と感じています。
「より派手に」「より大袈裟に」を繰り返せば注目を集められるというやり方は、
まさにスリップに配慮しないでアクセルを全開させるようなものですね(・ω・)



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