サビつく?マスプロモーション - 「規模を稼げても効率低下」のジレンマ

2006/08/13

日曜コラムです、こんばんは。
 
先週のコラム メディアの扇動力がネットに圧される時代
「亀田」と「時かけ」 - メディアの扇動力がネットに圧される時代
には、
本当に多くの方々からの反響を頂きました。コメントは50件を越え、
個人ニュースサイトを始めとした多くのサイトさまからリンクを頂き、
8/9のブログPVは3万PV/日近くに達しました。心よりお礼申し上げます。
 
さて今回は、頂きました反響を元に、既存メディア(テレビ、新聞など)の
マスプロモーション(マスプロ)とネットマーケティング
に関して、もう少し掘り下げてみようかと思っています。
 
中でも、kanoseさんが私の記事に言及してくださったエントリは、
同調される方も多いお話でした。
 
■ARTIFACT ─人工事実─
「市場規模が大きく違う作品のネットでの評判を同列で見るのはいろいろ見誤るんじゃない?」
http://artifact-jp.com/mt/archives/200608/marketnetreputation.html
この辺りから『時をかける少女』は東京、大阪といった
大都市圏で人気が高いといえる。別にそれが悪いという訳ではない。
あくまでこの作品の人気というのものは 局所的なものであろう
ということを確認したいのだ。

「時かけ」はネットでもの凄い話題になっているように見えるが、
その興行的価値は実はとても小さい、一部で流行っているだけ
のオタク的なブームである、というお話です。
 
もちろん、「オタク文化考察サイト」の名を背負うkanoseさんでありますから、
ここで言う「オタク的」はネガティブな意味合いだけではないでしょう。
しかし「ゲド」のような大衆娯楽狙い、つまり万民に等しくアピールするために
作られた作品とは違い、一部のオタクにピンポイントヒットさせる作品は、
熱狂的なファンを得やすいと言います。その反対に、ゲドはその何十倍もの
鑑賞者を抱えるが為に、ネガティブな意見が多く混じるのは仕方がないというワケです。
 
ほかの方からも多くの反論を頂きましたが、その中でも最も多かったご意見が、
 
 何だかんだ言っても「ゲド」は手広く稼いでいる。
 興行的に見たら「時かけ」なんて相手にならない。
 
というモノです。確かに、この点に関しては議論の余地はありません。
 
「ネットで大ブレイク」という現象は、「マスプロモーション」と同列に
語ることはできません。「ネットで大ブレイク」を重ねていけば、いずれ
 
 マスプロモーションより大きな成果(=売上)が出せる
 
というのはおそらくは嘘であります。
 
前回と言っていることが違う? いえいえ、前回のコラムで言及したかったことは、
マスプロモーションの効果が目に見えて衰退しているというお話です。一瞬、
 
 「ネットの威力はいずれ、今のマスプロの規模を追い越す」
 
というお話に見えてしまったかもしれませんが、その意図は全くありませんでした。
この両者の違いが感じ取れますでしょうか?
 
 
では、順を追って説明を・・・と行きたいところでしたが、実はすでに、
「発熱地帯」さんで言いたいことがほとんど言い尽くされてしまっていましたので、
そちらを拝借することにいたします。
 
■発熱地帯「回転が加速していく小さな歯車とサビついてきた大きな歯車」
http://amanoudume.s41.xrea.com/2006/08/post_258.html
しかしこのビジネスでは「大きな歯車」は回らない。
大きな歯車に乗っかっている人たちが「あれは小さな歯車」
と小馬鹿にしている間に、大きな歯車のシェアは低下していく。

小さな歯車は元気で、大きな歯車はサビついていく、というのは、
非常に的確な表現です。ここでポイントとなるのは、
 
 小さな歯車が大きくなるなんて誰も言ってない
 
という点です。マスプロモーションが効果を失っていくのは、
ネットマーケティングが代替メディアとして巨大に成長するからではなく、
ネットがマスプロという大きな歯車をただひたすらに解体していく
バクテリアのような存在だからと考えています。
 
判りやすく言い換えれば、大きかった歯車も、小さかった歯車も、
 
 「どちらも大差なく」小さくなる可能性がある
 
というワケです。こうなると、大きな歯車が小さくなってしまう、という
危機感の指摘に対して、「でも小さな歯車は依然として小さいじゃん」
というのは反論として機能していないことに気が付くでしょう。
結論として、「大規模に稼ぎたいならやっぱり大きな歯車でないと」という
判断を拠り所にすることが、時が経てば経つほど難しくなるからです。
 
 
では本題。情報過多の時代には何が起こるか。
以前私は別のコラムでこう記しました。
 
■2005/03/13 [マスが全てだった時代から、ニッチが普通になる時代へ(後編)
マスが全てだった時代から、ニッチが普通になる時代へ(後編)]
ノード数に対して コネクション数が「過度」に大きくなる ネットワークでは、
1つのマスが強い影響力を行使できなくなり、次々に似非マス化する他ノード
によって薄められていきます。この状態では個々のノードは、
 
 「全体のことを知ることはできるけど、全体を気にしたりはしない」
 
という新しい ドツボ社会 を形成していきます。つまり「見ることができる」
かどうかは問題ではなく、「見たいもの」と「目に入ったもの」しか見ない世界
になっていくのです。

 
ドツボ社会、あるいは「タコツボ化」。
必要な情報がふんだんに「獲得できてしまう」社会では、共通認識を
持つ必然性から人々が解放されてしまいます。「みんなと同じもの」
ではなく「自分の見たいもの」しか見えなくなります。ここに於いて、
「みんな同じもので盛り上がりたいよね?」「みんな同じもので感動するよね?」
というマスターゲットのコンテンツは、徐々にではありますが確実に、
「非効率」であることを自覚せざるを得なくなってきます。
 
100のコストを掛けて200の収穫を得ていたものが、その収穫がだんだん150になり、
100になり、果ては80になっていく・・・。「全員」がバラバラなものを
追い求めて良い時代、全員を同じ方向に向かせる行為は、確かに依然として
少なくないヒトを動かすものの、その 「誘導効率」 はどんどん落ちていくのです。
 
それでも、局地戦で10とか20とかを収穫しているよりマシだという人もいます。
 
 「局地戦ではどうあがいたって、100や200は収穫できっこないじゃないか」
 
確かにおっしゃるとおりです。でも、論点はソコではありません。
「局地戦で100や200を得ることが如何に不可能か」を語るより前に、
今まで100や200を獲れていた手法が、局地戦と大差ないレベルに落ちる
ことのほうを心配すべきなのです。もし、マスプロモーションが
 
 100のコストを掛けて、20や30の収穫しか得られなくなったら、
 
そのとき「ネット口コミという局地戦は相変わらず10や20じゃないか」
という反論は、もはや虚しく響くだけになってしまうのです。
 
ネット口コミを使った局地戦は、マスプロモーションが大成功していた頃の規模と
比べれば、今も将来も、相変わらず小規模であることに変わりは無いでしょう。
しかし、マスプロモーションが「打てど響かず」になっていけばいくほど、
「あの頃の規模」を夢見るマスプロモーションが実は如何に銭失いになるか、
ということを実感せざるを得なくなってくるはずです。
 
私はこれを 「情報富豪時代の必然」 と考えています。たとえば、
音楽CDの世界でミリオンヒットがなかなか登場しない現状を、「不況だから」とか、
「アーティストの質が落ちたから」といった安易な理由で誤魔化してはいけません。
 
情報的な裕福度が上がることは、必ず嗜好の細分化を生みます
1人1人の好みに合わせた情報を、という「パーソナライゼーション」とは
違うことに注意してください。これはあくまでセグメンテーションの細分化です。
 
人々は、広い世界の淡いシンクロより、狭い世界の濃いシンクロに、より快感を覚えるのです。
サザン好きの人は「サザン好き」という狭いセグメントの中でのみ最高の興奮を
共有します。全員が「宇多田はとりあえず聴いておかないと」というグローバルな
義務を共有しない世界、それがドツボ社会です。情報富豪になれる環境が整備されれば
整備されるほど、ドツボ社会は進行します。
 
情報富豪とは、情報の「質」に言及しないことにもまた注意してください。
あらゆる種類の情報が溢れかえる社会では、自分の都合の良い情報だけを
取捨選択して、「世界」を作ることができてしまいます。その結果、
 
 1つの方法で大勢の首根っこを掴むことが難しくなる一方
 
になるのです。上に挙げた 過去のコラム
マスが全てだった時代から、ニッチが普通になる時代へ(後編) では、この現象をロングテールの行く末として
「モンスターズテール(怪物の尾)」 と名付けました。
コミュニケーションコストとコミュニケーション維持コストの低下は、
小さな歯車の勢いを簡単に2倍にも3倍にもしてくれます。
しかし、大きな歯車はもうどうやっても、2倍、3倍にはなれません。
すると、大きな歯車は「今までどおり」にがんばっても、
 
 相対的競争力は勝手に低下していく
 
という悪夢のストーリーが出来上がります。怪物の頭は確かに大きいものの、
怪物の尾も「頭ほどではなくても、それなりに大きい。しかも数がべらぼうに多い」
という状況になります。「大きな歯車」が人々の人生に与える影響力の「比率」は、
どんどん低下していくのです。大きさは変わらないのに、効果は減っていく、
まさに「サビついていく」という発熱地帯さんの表現にピッタリと当てはまります。
 
 
メインフレームが産業の花形だった頃、パソコンによる「ダウンサイジング」革命は
「稼ぎを減らす悪手」といわれました。マイクロソフトがオープンソースを徹底的に
叩いたのも、低い対価でソフトプロダクトを生み出し続ける行為に対する警鐘でした。
 
 「そっちに行ったら、今までよりも稼げなくなるんだぞ!」
 
私がマスプロに対するネットに見る影響力も、こうした現象と良く似ています。
大きな歯車は徐々にサビついていくものの、今はまだ、大きな稼ぎをたたき出す
ことに異論はありません。しかし、その稼ぎに陰りが出てきたとき、
 
 「じゃあ別の歯車に乗り換えよう」と辺りを見回してみても、
 
乗り換えられる歯車は見当たらないという事態が容易に想像できます。
 
大きな歯車が使えなくなってくるまでの間に、何とかして小さな歯車の組み合わせで
効率的なビジネスをやりくりする術を身に付けていかなければなりません。
大きな歯車がサビつく速度に、自分のビジネス規模の減少の速度が比例し始めたら、
そのときになって慌ててもきっと手遅れになるでしょう。ネットが指し示すのは
バラ色の未来ではなく、ビジネスにとっては 「より厄介な未来」 なのです。


2006/08/13 [updated : 2006/08/13 23:59]


この記事を書いたのは・・・。
CK@デジモノに埋もれる日々 @ckom
ブログ「デジモノに埋もれる日々」「アニメレーダー」「コミックダッシュ!」管理人。デジモノ、アニメ、ゲーム等の雑多な情報をツイートします。




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hidematu 2006/08/14
プロモーションのレッドオーシャン化
itarumurayama 2006/08/14
マス媒体が解体し、経済効率が悪くなる
lovelovedog 2006/09/03
「ネットが指し示すのはバラ色の未来ではなく、ビジネスにとっては 「より厄介な未来」」なるほどです。
fujikumo 2007/01/24
<大きな歯車がサビつく速度に、自分のビジネス規模の減少の速度が比例し始めたら、そのときになって慌ててもきっと手遅れになるでしょう。ネットが指し示すのは…ビジネスにとっては 「より厄介な未来」 なのです。>
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▼ コメント ▼

No.3860   投稿者 : YUUSAKU   2006年8月14日 13:06

ネットが人の趣向を細分化してけっきょく作者を苦しめるのか・・
人の生み出すものなんてどれも悲しいだけ何ですね。。。
アニメ・ゲームでも同じことが起こってるね。一部のコアユーザーに局地化。
製作者にあんまり金が届かないなのに、すぐファンはみんな新作同人へ行く。
基本的に新しい物好きは同じか・・・

皆あんな小細工で感動してやがるクソッタレ!金持ちめクソッタレ!はどうしようもないでしょう(サザン父が聞いてて生まれた頃から大好きだけどたまに思う(意地悪な時)大きくなるにはどっかの歯車乗るしかなく結局評価落としてしまったりとか・・・やっぱり創作家は渡り鳥みたいな稼ぎ方が一番いいのかな?(後は作品を作り過ぎない)ジブリは腰をすえすぎたから・・・ゲド戦記~でもまあおもしろかったけど。時かけは池袋で見れるようになったから観に行く。ヨウツベ便利~!携帯じゃなくWWX310で、持ってるカメラもHC-3で、、、おれ典型的なネットマンですね('・ω・`)馬鹿にして結構です・・

まあ上記のことはおいておいて、結局は良いという物だけをよいと言っておけばいいと思います。でもネットだとあの女優は何々とか制作現場では・・やっぱ気になる方は封印です。ここで書いてあること皆が読んだらいまどうなってるかだけでも分かってくれるかなあ。。。落ち込みます。


No.3861   投稿者 : YUUSAKU   2006年8月14日 13:21

上 抜けまくりだね。板汚しスマソ以下
誤 新作同人
正 新作に向かい、同人で消費


No.3862   投稿者 : 三丁目の広告   2006年8月14日 17:26

我々は緩やかな死に向かっているとはケインズの言葉だそうですが、資本主義の行き着くところは細分化+利益の減少ですね。その細分化されたマーケットに合致した広告がグーグルの広告。利益率が1%前後の電通に対し25%くらいですから(http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/net/economy/060809_google/index3.html)。企業規模としては世界最強の電通も、利益でみるとグーグルの前では赤子同然(政治力はありますけど)。

大塚英二が「大きな物語の消滅」といいましたが、まさに大きな世界から多数の小さい世界に進みつつあるのかもしれません。

アメリカの音楽市場は面白くて既に細分化されているようです。宇多田ヒカルや松田聖子が失敗したのは訳があるのです。結局彼女らの歌を聴くのは少数のアジア系のなかで、さらに少数の日本人だけ。カントリーやブラックミュージックなどジャンル分けされている市場では「広く一般に聴かせるための日本的歌」は太刀打ちできません。しかも互いのジャンルを超えて聴くのはまれ。日本でもJPOPを聴く人がジャズやクラシックを聴くことはかなり珍しい。移民の国ならではのたこつぼ社会が音楽ジャンルに反映されていると思います。書籍でも反ブッシュ本は都会だけで田舎にはそもそも専門の本屋がないとか(アマゾンが流行るわけです)。

あと電車男は小さい世界をテレビという大きな世界に持ってきて成功した例なので、またやると思います。男子のシンクロでも成功したのでそのノウハウはあります。次は何になるか小さい世界の住人は戦々恐々。俺の世界を汚さないでくれ~。


No.3867   投稿者 : きの   2006年8月15日 08:43

「時かけ」VS「ゲド」の戦いの決着ってどちらもが、DVDにて販売されて
1年以上経過したときにはっきりするのではないかと、僕は思う。


No.3913   投稿者 : 通りすがり   2006年8月16日 21:40

巨人人気の低迷も、この法則なんでしょうね。強弱にあんまり関係なく視聴率が落ちてる。じゃあかわりに中日が人気が出るかと言うとそうでもない(笑)。

かつて隆盛を誇った映画産業が衰退したように、今までどうにもならないと思っていた妄言ばかり吐くマスコミ連中や、JASRACなどの利権団体が失墜してくれるならば、よきかなと思う。



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デジモノに埋もれる日々 : (C) CKWorks