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2012/05/19 18:20 - 2012/05/13

作品が持つリアリティと、「自分のリアル」「他人のリアル」「大勢のリアル」

カテゴリ : コラム タグ :

    久々に不定期コラムです、こんばんは。
     
    少し前に見かけた島国大和さんの「リアル」に関する一連の
    つぶやきは私も目に留めてふんふんと眺めていたのですが、
    加野瀬さんがTogetterにまとめてくださっていました。
     
    ■フィクションが面白くなかった時に「リアルじゃない」という人たちがいる - Togetter
    http://togetter.com/li/302672
     
    主題は作品の批評をするときに 「リアルじゃない」 という言葉
    を持ち出すことで、批評がどのように「すれ違い合戦」というか
    「泥仕合」になるか、みたいなお話だと思うのですが、
    その一連の流れから微妙な葛藤みたいなものが読み取れて
    とても興味深いところがありました。

     
    バックトゥザフューチャーとか、タイムパラドックスの辻褄が合ってないし、リアルなところも全然ないけど、「リアルじゃない」とかいう突っ込みはそんなにはされないだろう。面白いから。面白くないの代わりに「リアルじゃない」を使ってる人たちがいるだけ。
    ちなみに、「リアルでない」などが劇中気になって仕方がない場合は、それは嘘のつき方に失敗しているんだと思う。わざわざ騙される為に見ているんだから気持ちよく騙して欲しい。
    自分は、リアルな戦闘を売りにしてるくせに、銃の描写が甘い映像作品とかにはやはりガッカリする。それは売りだろう。と思う。別にむちゃくちゃリアルにしろとは思ってない。適正なリアリティレベルを保って欲しいだけ。話に冷めないように。
    こういう萎えるポイントは人それぞれで、楽器やる人は映像作品の音楽シーンで、本当に引いてるかフリかは気になるという。ズバットがギター1本で2本ないと弾けない曲を弾きながら現れたりするのも気になるようだ。
    (一連はすべて島国大和さんのツイートより引用)
     
    一部だけ抜き出すと変に誤解が生まれそうな気もしますので、ご興味のある方はぜひ
    上記のTogetterの一連のまとめツイートだけでも流しでご覧頂ければと思いますが、
    自分の得意分野については 「もっと上手く騙して欲しい」 と感じる
    ときがあると共に、あらゆる作品についてリアルを追求すれば批判が減るって
    ものでもない、というようなことも触れられていて、それはおそらく島国さんの
    制作者的視点と鑑賞者(プレイヤー)的視点と、その他いろいろ混ざった中での
    正直な感想なのだろうなぁと思います。
     
    ちょっと似たような違うようなお話かもしれませんが、少し前に切込隊長こと
    やまもといちろうさんが漫画 「進撃の巨人」 に於ける人間側の戦略の足りなさ
    みたいなものについてガッツリとつっこみを入れたことがありました。
     
    ■『進撃の巨人』の「調査兵団」による偵察作戦が酷すぎる件(抽象的ネタバレあり): やまもといちろうBLOG(ブログ)
    http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/05/post-8c65.html
     もっとも、架空戦記であり、歴史上の合理性をかなり排除して、特殊な世界観を築いているわけですから、現実的な観点からツッコミを入れてもしょうがないわけですけれども、仮にすべてあの設定の中ですべての構成要素を前提としたとしても、作中で行われている作戦はあり得ないよね、という話でありまして。
    というように前置きを於いてから書かれていて、いわば本作品の批評とは違って
    「議論を作りだして楽しむためのネタフリ」であるという、文脈的には
     
     まど☆マギの深読み考察
     
    とかと一緒のジャンルでオタク界隈にはよくある嗜(たしな)み方みたいな話だと
    思って読んでいたのですが、なぜか 作者ご本人が 壮絶に反論を書かれたり
    したことで奇しくも「すれ違い」による「泥仕合」が目の前でばっちり起こって
    しまった格好となっていました。いや、、正確にいうと、ご本人同士は
    ある程度分かっていながら嗜んでいる状況なのだろうとは思うのですが、
    周辺の読者同士ではかなり泥仕合な議論を巻き込んでいったようでした。
     
    ■現在進行中の黒歴史 : 今から最高にみっともないことをする
    http://blog.livedoor.jp/isayamahazime/archives/7034673.html
    ■『進撃の巨人』の作者の方からまさかのマジレスを頂戴したので: やまもといちろうBLOG(ブログ)
    http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/05/post-95d2.html
     
    これらのお話は、いわばオタク界隈では 日常茶飯事で勃発している地域紛争
    みたいなものでありまして、それこそサブカルな議論で一進一退を繰り返している
    猛者の皆様の中では、こうしたすれ違い自体がもはや日常風景になっていると
    言っても過言ではありません。
     
    余談ですが、私は「進撃の巨人」自体をまだ拝読したことがなかったため、
    この話題に付いていけなかったの甚だ寂しうございました(おい)。
    「コミック2,500冊持ってる」というと、オタク界隈はともかくとして
    一般人界隈からはドン引きされたり 「漫画のことは何でも知ってるんでしょ?」
    みたいなことを言われたりして青ざめることがあるのですが、
    私は「ワンピース」も「デスノート」も読んだことがありません。
    世の中の有名作品を全部読めるなら読んでみろ!と逆ギレしたくなるくらい
    漫画の世界は大量の作品で溢れていて、私はその何十分の1にも満たないレベルなのす。
     
     
    相変わらず前置きが長くなりましたが、、
     
    個人として 「リアルさを感じない」「リアリティがない」
    という理由で面白くないと感じてしまう(醒めてしまう)
    というのは、人間として普通の感情であります。
    私自身も色々な作品に鑑賞者として触れるときに
    同じような理由で「うーん・・」となってしまうことが多々あります。
     
    ただ、個人として「うーん・・」となってしまった理由というのは、
    それこそ個人に由来するものでありまして、問題はそれを作品そのもの
    の客観的評価、すなわち 「だからあの作品は名作とはいえない」 とか
    「評価されるべきではない」とか、そういう主語の大きい言説
    (みんなもそう思ってるよね?いやそう思うべき)として流れていって
    しまうとき、これが初めて 「衝突の火種」 になり得ます。
     
    面白さもそうですし、こと「リアル」かどうかのお話になると顕著なのですが、
     
     「リアル」(の理解)は個人の知識と経験によって変わる
     
    という前提を踏まえておくことが、この手のすれ違いを理解して扱う上では
    非常に大切になってきます。たとえばある「クルマ」という物質は誰の前に
    現れても同じ物質ですが、それが 「アクセル踏むと走るもの」 なのか、
    「ガソリン混合気がピストン内で点火・爆発した勢いで発生する回転が
    クランクシャフトに伝わってトランスミッションが・・」みたいな構造を
    想像してしまうのか、によって、対象をどう理解するのかは変わってきます。
     
    すると、同じ作品を観たときにも、「クルマがあんな動きするわけないしw」
    という部分が目に付いて醒めてしまう人とそうでない人の間に差が生まれてきます。
    ここで注意しなければならないのは、
     
     より知っている人のほうが偉い(より楽しめる)わけではない
     
    ということです。いや、知識の誤解云々はさておくとして、その対象について
    良く知っている人のほうが正しい理解をしているケースが多いことは確かでしょう。
    ただ、そうはいっても、人生の時間は有限ですから、ヒトは結局全ての物事
    についてこうした知識と経験をぎっしりと詰め込めるものではありません。
     
    必然的に、自分が特に興味のある分野のみについて深い知識と経験を持ち、
    それ以外の分野については人並みあるいはそれ以下の知識と経験で妥協すること
    になります。そしてそこに「妥協」と呼べるほど引け目を感じるものでもありません。
    逆に、より深い知識や体験(リアル)があればあるほど、
    作品を楽しむためのハードル は上がっていくことがあります。
     
     
    凄く古いお話を例に出しますが、
    アナウンサーの 中井美穂さん がプロ野球選手の古田敦也さんとご結婚された
    ちょっと後くらいの頃、ラジオに出演していた際にこんなことを仰っていました。
     
     
    『 「エージェント」っていう映画を観に行ったんです。凄く面白くて、
     感動して出てきたんですけど、一緒に見に行った旦那・・古田がですね、
     あまりノリ気じゃなかったみたいなんですよ。
     「・・あんな簡単にはいかないんだよな、もっと複雑な事情が絡んで・・」って。
     
     確かにプロ野球選手として実際に色々な経験をしている立場だと
     粗が見えてしまうっていうのはあるのかもしれませんね。 』
     
     
    ちなみに「ザ・エージェント」という映画は私は観たことはないのですが、
    プロスポーツ選手の契約代理人が、高額年俸を得ることだけに執着する
    方針の所属会社に疑問を感じて飛び出すが・・・という映画です。
     
    このお話はなぜか私の耳にずっと残り続けているのですが、
     
    気になるのは、実際に題材の 当事者ド真ん中 である古田さんが楽しめなかった、
    という点もさておき、この時点でプロ野球のキャスターを7年務めた経験を
    持っていた中井さんが普通に楽しめたという点、さらに実際にこの映画が
    狙っているターゲット層は中井さんよりもはるかにプロスポーツ選手の
    契約問題に詳しくないであろう一般人になるという点です。
     
    前述のとおり、同じ題材を見たときでも、そこに当てはめる「リアル」は
    個人によって大きなズレ があります。ところが、そのズレを見事に吸収して
    鑑賞者全員を「上手く騙そう」=「喜ばそう」とすることは至難の業です。
    なぜなら、この「上手く騙す」うえで大きなポイントになるのが、
     
     相手の「リアル」をぎりぎり乗り越えた上で「無茶」をする
     
    ことだからです。現実では起こらない無茶をすることは、創作物としての
    面白さの根源でもあります(それをやらないのであれば創作なんてしないで
    現実を見つめていれば良いワケですし)が、往々にしてその無茶は、
    高レベルな知識と体験を持っている人の 「リアル」とバッティング します。
     
    それらを全部踏まえたうえで、鑑賞者の立場として「上手く騙してくれてほしい」
    というのは確かに正直な希望なのですが、実際にはとても難しいでしょう。
    必然的に、「あの辺の層にはハマってほしい」けど 「あの辺の層には醒められ
    ても仕方ない」 といった割り切りはある程度見据えた上で作品は封切を迎えます。
     
    鑑賞者は自分のリアルと照らし合わせて「醒め」が見えてしまったときに、
    「自分の『リアル』がターゲットとかけ離れていた」と考えることもできますし、
    「そもそも作品の 騙し方が上手ではなかった」という理解をすることもできます。
    しかし前者は個人の感想としての醒めを言い表している一方、後者は作品の
    客観的な評価に踏み込もうとしている点には注意が必要です。
     
    それを裏付けるには他の人の話を聞いて、
     
     「ほら、ほとんどの人が上手く騙されてないじゃん」
     
    という客観的な話につなげていくことになりますが、
    これはなかなか大変です。前述のとおり、個人個人は
    人生に於ける知識と体験の積み重ねによって、
    異なる「リアル」の境界線を作り上げていきます。
     
    そういう意味で、自分のリアルとの差を見つけて醒めてしまったときには、
     
     「ふっ、オレのリアルには遠く及ばないな・・」
     
    とか、
     
     「ふん、わしのリアルとは調和せんな・・」
     
    とか、主語に自分を示す言葉を入ることで頑張って納得する方向に持っていくのが
    一番良い消化(昇華)方法なのかもしれません。もちろん「論壇」として客観的
    評価を決定するプロレスを楽しみたいというのはある意味オタク世界の華ですので
    頑張る人はすごいなと思いますが、あれはあれで参戦するといやな気分になること
    も多いため、素人(?)が戦線を拡大するのはリスクが高い部分も多いでしょう。
     
    島国さんのお話はおそらくお立場上、さらに 「制作側」 からの視点でも
    この問題を捉えられているような気がします。ただ、上述のとおり対象者の
    「リアル」を全て充足するのは至難の業ですので、誰かを上手く騙す世界観では
    別の誰かが醒めている、という残酷な現実の中で、どうやって満足のいくものを
    作り上げていくのか、というのはとても難しい問題になりそうです。
    その中ではまた往々にして 「制作者の満足」と「鑑賞者の満足」が
    バッティングする という状態ができてしまうのも困り者です。
     
     
    ちなみに、ここまで延々と「リアル」という言葉を取り上げてきましたので、
    「リアリティを売りにする作品(映画、ゲーム、漫画、小説、etc.)では
    リアルさがどこまで求められるのか?」というお話なのかと思われるかも
    しれませんが、実際はそれに限ったお話ではありません。
     
    前述の「進撃の巨人」も良い例ですが、ファンタジー の側面のある作品で
    あろうともナンセンスギャグ作品であろうとも、多かれ少なかれこうした問題に
    直面することになります。それはなぜかというと、
     
     ヒトはリアルの知識・体験からしか作品を理解できない
     
    からです。特に 登場「人物」 というのは厄介な存在で、誰しもがそこにリアルの
    人間を当てはめて「普通そこはそう行動しないだろ!」みたいな理解をしたり
    違和感を持ったりします。
     
    ところが結局そのリアルはその人の知識と体験の積み重ねによって個人差
    があり、同じ作品を目にしたときに違和感なく楽しめる人と突っ込みどころ
    が多くて鼻に付く人とが出てきてしまいます。アニメの中の 高校生の推論
    総突っ込みを入れたくなったり、主人公が ネトゲのバトル で取った戦術に
    違和感を持ったり(おい)することがあっても、それは全て
     
     「自分ならこうするのに」
     「周りの人物は普通こう動いてくるはずなのに」
     
    という、自分のリアル体験から構築される(自分の中では)一般的な人間の
    モデルとのズレを感じたときに 醒めが襲ってくる ということであり、
    これらも「場としてのリアリティ」の追求の話と一部似通ってくるところがあります。
    前述した古田さんのお話も「普通、代理人ならそんな風に行動しないだろ!」
    とか「プロ選手だったそんな契約怖すぎるだろ!」とか、色々と思うところがあった
    のだと思います。それはそういう知識と経験を持っていないと気づかないものです。
     
    たとえファンタジー世界において現実では許容できないアクションが登場したときも、
    「この世界ならこれはアリ」 と許容できる場合と、「いくらこの世界であっても
    さすがにこれはナシ」と思ってしまう場合の、判断を分ける境界線はその人の
    リアル(知識と体験)によって違ってきます。これも与えられていない情報を
    現実の自分のリアルで埋めようとする ことが大きな理由の1つです。
     
    上の例でいえば、実は多くの一般人にとって「プロスポーツ選手」の世界は
    ある意味ファンタジーであったりします。古田さんにとってのみ、
    あの世界はリアルに照らし合わせて判断できる世界だったワケです。
     
     
    ある作品について「リアルじゃない」「リアリティがない」と
    捉えることは、「自分のリアル」とは相容れない
    という意味として自分が醒めてしまった理由を正直に表現
    しているといえるでしょう。その意味では「面白くなかった」
    という感情表現の代替である(でしかない)というお話もたしかに一理あります。
     
    その一方で、創作する側が持つイメージというのはもう少しシビアです。
    ターゲット、すなわち 誰のリアルと共鳴させるか、ということを考えたうえで、
    多くのヒトが持つリアルを 「半歩」超えたリアル に、創作としての無茶を
    上手く混ぜ合わせて、絶妙なハーモニーを奏でなければなりません。
     
    リアルさは、それそのものを追求しても面白さを増幅させる道具としては
    頼りないものですが、ターゲットの期待値としてのリアルを少しでも下回ると
    世界観から放り出されて 一気に醒めを呼び起こす という性質があります。
    しかし、自分がいま醒めてしまったからといって、隣の誰かが同じように
    醒めてしまっているとは限りません。実際には「大勢のヒト」にとって、
    リアルというのはかなり低いラインに設定されています。
     
    人はみな、自分のごく一部の得意分野については高い知識と経験を持ち合わせて
    いますが、それ以外のほとんどの分野については 素人同然 であり、そうした
    分野についてはかなり低いリアリティと山盛りファンタジーをリアルっぽく
    楽しむ「ことができます」 (楽しめるというのは悪いことではありません)。
     
    制作者のような立場になると、「自分のリアル」ではなく「他人のリアル」を
    想像して戦っていかなければならないところが非常に難しいですね。
     
    一方、制作者ではない一般的な鑑賞者としては、「自分のリアル」とは
    ちょっとズレていて醒めてしまった、というのは個人の立派な感想ですので、
    それを「なんかここの表現がリアリティないんだよな・・」と表現することは
    何もおかしなことではありません。ただ、それが 他人のリアルの上でも
    同じはず である、という客観視にまで持っていくのはそう簡単ではない、
    ということは気に留めておく必要があるでしょう。
     
     
    ところで、自分では「自分のリアル」と醒めについて語っているだけのつもりだった
    ものがネットでは「文字」として長く残ることで、他人からはいつのまにか
    「客観的に貶める批評」 に捉えられてしまい、意図しない 泥仕合を誘発 して
    てしまったりすることもあります。一言で「なんかリアルじゃないんだよなぁ」
    といいますが、それを「自分はそう感じただけで、他の人もそう思えなんて
    言ってないよ!」と伝えるのはなかなか大変なことです。
     
    「上手く騙して楽しませて欲しい」というのは確かに鑑賞者としての本音なのですが、
    自分は醒めてしまったものについて、隣の人が上手く騙されて楽しそうにしている、
    という状況が起こったとき、果たして両者の間に 円満なコミュニケーション
    成立するのだろうか?というのは難しい問題です。距離を置いて 互いの楽しみを
    ジャマしない、というのが一番の解決策ですが、そこから近づこうとするとすると
    両者にかなり高度な忍耐力と冷静さが求められます。ネットでは今日も同じ作品に
    ついて「たのしー」と「ねーよ」が交差する物語が展開されていくのです。

    CK@デジモノに埋もれる日々 @ckom
    ブログ「デジモノに埋もれる日々」「アニメレーダー」「コミックダッシュ!」管理人。デジモノ、アニメ、ゲーム等の雑多な情報をツイートします。



    投稿者 CK : 記事URL | コラム | | 2012/05/19 18:20


    « お値段なんと11,800円! 配置自由のプロモデル MadCatz「MLG Pro Circuit Controller」

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    ▼ コメント ▼

    No.32031   投稿者 : キャリーパフパフ   2012年5月21日 02:33

    最近、演劇の勉強をしていますが、劇作家の平田オリザさんの書籍「演劇入門」で良い文があります。

    観客とのコンテクストの摺り合わせがなされていない段階で、表現者が鑑賞者に仮想のコンテクストを押しつけるときリアルを失う…

    アナウンサーの中井美穂さんの様な場合、表現者が提示するさまざまな情報から「鑑賞者が主体的、能動的に個々人にとって有利な情報を選び出して」表現者とコンテクストの共有、摺り合わせを行うのでしょう。
    そして古田さんの場合は、経験に基づいた鑑賞の仕方をするが故に、共有、摺り合わせを拒否してしまう…といった感じでしょうか。


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