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2006/03/12 23:59 - 2006/03/12

「一次情報信奉」は、情報の需給バランスの前に意味を持ち得るか?

カテゴリ : コラム タグ :

    日曜コラムです。こんばんは。
     
    ブログの書き方というのは千差万別ではありますが、その中でも私は
    特に典型的な2つのパターンを定義したことがあります。
     
    ・自己言及型
     自分自身の生き様をコンテンツにしたもの。
     「今日は○○を買った」「嫌なことがあった、憂鬱だ」
     
    ・他者言及型
     ニュースなどに対する感想や論評を書くもの。
     「○○の政策は良くない」「新製品のココが良さそう」
     
    前者の「自己言及型」はある意味、完全無欠の文章形態であり、
    他者からツッコまれる余地があまりありません。これはいわば
    「究極の一次情報」であり、誰が何と言おうと、今日私が買ったモノや、
    今日の私の気分についてケチをつけることはできないのです。
     
    対して、後者の「他者言及型」の文章は、自己完結することはできません。
    他者に言及している以上、その「他者」に対する見解の決定権は自分には
    ありません。そしてその見解は人によって相違があります。相違が生じた場合、
    一方が他方を否定するものであれば、それは対立を促すことにもなります。
     
    そんなとき、対立を制するためのカードとして、
     
     どちらが一次情報に近しい情報であるか
     
    という考え方が持ち出されることがあります。
    今回はこの「一次情報」について考えてみることにしましょう。
     
     
     「一次情報原理主義」
     
     
    言葉は悪いですが、私は一次情報を有り難がる風潮をこう呼んでいます。
     
    「マスメディアは取材などを通じて、一次情報にリーチしている。
     それに比べて、ブログが作れるのは二次情報でしかない。」
     
    という主張は多くの場合的を射ています。現場主義を徹底した
    ブログというのは割合としてそれほど多くないからです。
    しかし、そこから得られる結論が、
     
    「だから、ブログはそもそもマスメディアに依存した存在だ。
     一次情報を作り出す存在こそ尊ばれるべきものであり、
     ブログの作り出す二次情報はそれと比べるべくもない。」
     
    というのは早計でしょう。
     
    この問題は、情報の需要と供給という概念を以って考える必要があります。
     
    「二次情報提供者は一次情報提供者なしでは生きられない。
     だから二次情報提供者はどうあがいても一次情報提供者には敵わない」
     
    といった論旨は、
     
    「人間は生命の根源である食料を供給する『農家』には絶対に頭が上がらない」
     
    という主張と似たところがあります。食べ物が無くなってしまえば、
    狩りも栽培も忘れた私たちは、自力で生きることが難しくなります。
    だから農家の人々は、絶対的な権力を持っているのです・・・あれ?
     
    ・・・本当でしょうか? 当然そんなことはないハズですよね?
     
    農家には同じ農家のライバルが多数存在し、その中で自分の供給する作物が
    最も売れるように、安く美味しく進化していかなければなりません。そして
    供給過多になれば、彼らの供給物である作物は買い叩かれることになります。
     
    一次情報の供給者が力を持つかどうかも、これと同様に「需給バランス」によって
    決定します。一次情報が供給過多になれば、一次情報の価値は下がるのです。
     
    そして、適切な読み解き能力を持った二次情報供給者が、一次情報供給者より
    力を持つということは十分に有り得ます。逆に言えば、ブログのような
    二次情報供給者が需要を獲得し始めているということは、
     
     読者の需要を満たす多彩な読み解きパターンを
     
    マスメディアが十分に提供してこなかったことの裏返しと見ることができます。
    想像以上に沢山のパターンの情報に、それぞれ需要が存在しているのです。
     
    この「情報の需要と供給」という考え方に於いて、先に挙げたような
    「一次情報原理主義」という考え方との間には、超えられない一線があります。
    一次情報原理主義の根源にあるのは、こんな考え方です。
     
     「人々は、『事実』を知りたいから、情報を摂取しているのだ」
     
    あるいは「事実」を「真実」と置き換えても構いません。
    さらに「事実」と「真実」は違う、といったお話に進みたい方は
    ここではちょっと待ってください。私がお話したいことは、
     
     「事実」でも「真実」でもない、「信実」(しんじつ)
     
    のことです。「信実」とはもちろん造語ですが、人々は信じたいものを
    信じる性質があり、そのための情報を欲しています。情報に対する需要
    の内実は、実はそうした「信実」を求めるものなのです。
     
    だとすれば、「事実」や「真実」を追求したものこそが真の情報強者である
    との言はあまり意味を持たないことになります。一次情報とは、読み解きを
    経ない段階の生データにリーチする能力を提示しているにすぎません。
    それが読者にとっての「信実」足りえるかどうかは、その後の読み解きが、
    読者の心に深く共鳴するかどうかにかかっています。
     
    その一方で、読者はその「信実」が、自らの心と共鳴しているかどうかと
    同じくらい、確かな社会的認知 を持っているかどうかを気にしています。
    社会的認知を全く持たない「信実」は、単なる「電波」でしかなく、
    それを信じる自分自身の立場さえも危うくするからです。
     
    そこで重要になるのは、自らの信じたい「信実」が、
    社会的認知を持つ他の情報とリンクされているという事実です。
     
    ■絵文録ことのは「一次情報に当たることはいかに重要か(永田寿康議員メール問題)」
    http://kotonoha.main.jp/2006/02/27literacy.html
     
    一見、タイトルだけ読むと一次情報原理主義側の文章のように見えますが、
    中身は逆のことを述べられています。いわく、「発信者が何者であるか」、
    「情報の出所がどこか」が判っていれば、「読み解く意味」がある情報になる、
    という主張です。
     
    二次情報の需要とは、自らの信じたい情報が、多くの他者から認知されている情報
    を拠り所にして捻り出されてきた、という読み解きパターンの構築にあるのです。
    そして今、ブログをはじめとするネットコミュニティは、その読み解きパターンの
    大量生産を始め、洗練と淘汰を繰り返すプロセスを動かし始めたと見ることができます。
     
    何度も繰り返しますが、そこでは「事実の追求」に近づいたか、あるいは遠ざかったか、
    という議論は大した意味を持ちません。良い悪いに関わらず、読者の求める
    読み解きパターンが適切に供給されているかどうか、という視点こそが、
    情報の価値を決定しているのです。
     
    様々な矛盾した立ち居地の情報源がそれぞれ需要を保っているのは、
    決しておかしなことではありません。「一次情報は二次情報より偉い」という
    原理が危うい一番の理由は、「信実」が人の数だけ存在するからなのです。

    CK@デジモノに埋もれる日々 @ckom
    ブログ「デジモノに埋もれる日々」「アニメレーダー」「コミックダッシュ!」管理人。デジモノ、アニメ、ゲーム等の雑多な情報をツイートします。



    投稿者 CK : 記事URL | コラム | | 2006/03/12 23:59


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